その24 ようがんばっとる脳

父ときどき爺

 父の脳は、がんばっているらしい。

 92歳になった今も、朝起きたら新聞を読み、選挙のときは必ず一票を投じる。うっかり物忘れをすると「ボケたんかのう」と照れたようには言うけれど、まだまだ認知症とは縁遠いと思っているようだ。

 介護付き有料老人ホームに入居するための健康診断で、父は脳のMRI検査を受けることになった。

 その数日前に受けた認知機能のテストでは、結果は良好と太鼓判を押されている。私も聞き耳を立てながら付き添っていたが、計算問題などはスラスラと答えていた。認知機能は父より私のほうが怪しいなぁ・・・と心の中で苦笑い。こうして自分の衰えに気づかされるのも、先を行く父のおかげだ。

 今思い返すと、ちょっと不思議なことがある。普段の父は、じっとしていることが苦手で、椅子に座っていても手や足を小刻みに動かしている。けれど、認知機能のテストを受けている間は、やけに落ち着いていた。どっしりと構えて一問一問、丁寧に答えていたのだ。全神経を脳に集中させるスイッチでも持っているのだろうか。いごいごした父の姿はそこにはなく、10歳、いや20歳は若く見えた。

 テストを終えて、「素晴らしいですね。いい結果ですよ」と褒められた父は、「運転免許の更新で受けたときも、いっつも満点でしたわぁ」と余裕の笑みだ。そのプチ自慢話には、多少は下駄を履かせているかもしれない。けれど、自主返納するまで運転免許証が更新され続けたということは、認知機能のテスト結果に問題はなかったのだろう。このときの成功体験が父の自信になって、落ち着いていたのだ。

 そして、MRI検査の日を迎えた。

 この日の父には、いつものいごいごが戻っていたが、撮影は無事終了。画像を見つめながら、先生の口から最初に出たのは「脳ががんばってますね」という言葉だった。ちょっと意外な表現だったので、どう解釈していいのか戸惑ったが、説明を聞いて私なりに「ほほぅ」と納得した。

 実は、画像を見る限りでは、90年以上生きてきた父の脳は、それなりに萎縮しているらしい。けれど、先生の質問に対する受け答えやテスト結果を鑑みると、日常生活に支障はなく、認知機能は保たれていると診断できるようだ。

 ということは、画像から読み取れる以上のことを、父の脳は日々やってのけているわけで、だから「脳ががんばっている」という表現になった。

 そう解釈すると、今の父には最高の褒め言葉かもしれない。父はもともと、実年齢よりは若く見られることが多い。その外見のおかげで、ひょうひょうと生きてきたように見えるけれど、それは父のがんばりのなせる業なのかもしれない。そのことを、認知機能のテストとMRI検査が教えてくれた。

 「ねぇねぇ、お父さん。暗記とか計算は、前から得意だったの?」「いやぁ、そんなこともないが」「ふーん。そこは私も同じだから、お父さんに似てたら認知症にはならないかも」と半分冗談、半分本気でほっとしたのも束の間。「まぁ、老化防止には計算がええらしいけぇ、散歩するときは引き算をしながら歩いとる」・・・さらりと言ってのけた父は、私と同じでなく努力の人だった。

 ボーっと歩いてんじゃねーよ!な私は、父のひょうひょうとしたがんばりを、今からでも受け継ぐことができるだろうか。

⇐その25 ほどほどのおもてなし

その23 毎度の「ごっつぉう」⇒

投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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