その28 92歳の通信簿

父ときどき爺

 父の令和元年は、第四の人生の元年になった。

 55歳で定年退職を迎えた父は、母と二人で生まれ故郷に帰る選択をした。これが第二の人生のスタートならば、70代で母に先立たれ、祖母も看取り、家じまいをして私と暮らしはじめたのが第三の人生。そして、父が描いた第四の人生は、90代になったら老人ホームで暮らすというシナリオだった。

 父はつねに、自分の生き方の中長期計画を立てている。と言うと、何事にもきっちりした性格だと思われるかもしれないが、決してそんなことはない。おおらかで、ほがらかで、良くも悪くもざっくり。そんな父が、なぜかこれからの人生設計には余念がないのだ。

 世間では「終活」と呼ばれていることかもしれない。けれど、父のそれは、もうちょっと前向きな匂いがする。

 そのシナリオが動き出したのは、92歳を前にした今年の初夏のこと。いつもデイサービスでお世話になっている、高齢者施設の介護付き有料老人ホームに入居することになった。きっかけは、私の留守中に転倒したことだったが、父の希望通りのホームに入居できる流れになったのは、まさに怪我の功名。今思えば幸運だったのだろう。


 

 5年前、87歳で癌の手術を受けて退院したとき、父の目標は東京オリンピックまで生きることだった。本人は冗談まじりに言っていたが、その目標はどうやらクリアできそうだ。「カープが優勝するまでは死ねんのう」という願いも、リーグ3連覇という、おつりがくるくらいの結果で叶っている。

 そして、ホームに入居して半年経ったある日、父の口から出たのは、ゴールを設定しないこれからのシナリオだった。介護と看護を担当してくださるスタッフの方々と、家族を交えたカンファレンスの席で、父は開口一番こう言った。

 「おかげさまでますます元気になって、なかなか死なんような気がしますわ。まぁ、いずれは病院に行くことになるんでしょうが、しばらくはお世話になりたいと思うとります。みなさんにようしてもろうて、ありがたいことです」。

 自分の人生設計を、さらに延長して語りはじめた父の元気度は、数字にもあらわれていた。

 カンファレンスでは、父の日常生活の様子が運動項目と認知項目によって評価され、今後の目標とそれをクリアするためのプランが話し合われる。生活通信簿のようなその評価を見ると、入居した直後のカンファレンスよりも点数がかなり上がっていた。課題だった補聴器のつけ忘れも、ほとんどなくなったようだ。

 その結果、コミュニケーションの評価も一段階アップして、みなさんと楽しく交流するために新調した補聴器は、今のところ役目を果たしてくれている。それもこれも、親身になって対応してくださるスタッフの方々と、囲碁や麻雀に付き合ってくださるお仲間のおかげだ。

 第四の人生が、これほど前向きな展開になることを、父が想定していたかどうかはわからない。けれど、92歳の通信簿は、これからまだ成績が上がる余地がありそうだ。

 令和という新しい時代のはじまりに、人間はいくつになっても更新できることを、父が見せつけてくれたのである。

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投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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