その37 やってて良かった

父ときどき爺

 父とは、また会えなくなった。

 新しい日常がはじまったと思った矢先、「全国的に新型コロナウイルスが感染拡大傾向にあるため」という理由で、父がお世話になっている老人ホームは再び面会禁止になった。巷ではGoToトラベルキャンペーンが話題になっていた、7月の終わりのことだ。

 あらゆる手立てで入居者を守ってくださる、ホームの方々の素早い対応には感謝の言葉しかない。本当にありがとうございます。

 面会禁止になる前日、父に会ってそのことを告げると、「ありゃあ、またか。ま、しょうがないのう」と力なく笑った。そして、帰り際にはいつものように、私のカラダを気づかってくれた。「無理せんようにの。また会おうの」「うん。お盆に会えたらいいね」

 それから面会できない日々は続き、結局、お盆にも会うことは叶わなかった。
ステイホームのお盆を過ごしてみて、あらためて思ったことがある。ここ数年の父の決断は、すべていい時期に、いい方法を選んでくれたと。

 たとえば、故郷の「墓じまい」をして、いつでもお参りに行ける永代供養の納骨堂に移したこと。誰も住んでいない実家を解体して「家じまい」をしたこと。どちらも後回しにしていたら、コロナ禍ではお墓も家も放っておくしかなく、考えただけでストレスになったに違いない。

 そして、一番大きかったのは、昨年の夏、父自身の希望で老人ホームに入居したことだ。ある日、父から「ホームで暮らすんも、なかなかええらしい」と言われたとき、娘としては複雑な気持ちだった。まだ早いと思ったし、私との生活に不満があるのだろうかと、胸のあたりがザワついたのだ。

 「同じような歳の者が集まっとるから、囲碁の相手もおるじゃろうし。元気なうちに、いろいろやってみよう思うんじゃ」と、前向きな言葉を重ねる父。それならば試しに・・・と、以前からデイサービスに通って囲碁仲間もできていた、顔なじみのホームに入居させてもらうことになった。

 父がホームの生活に慣れたころ、コロナ騒動が起こった。もちろん、こうなることを父が予想していたワケではない。けれど、介護と看護のプロの方々が見守ってくださっているホームは、父にとっても、私にとっても、今いちばん安心できる場所だ。

 
 会えない寂しさはあるけれど、安全にはかえられない。あのまま家で一緒に暮らしていたら、じっとしていることが何より苦手な父に、ステイホームを強いるのは難しかっただろう。

 思えば、私の留守中に出かけて、マンションの玄関先でコケたこともあった。熱中症になりそうな日でも「散歩せんとカラダがなまる」と言い張り、汗びっしょりで帰って来たこともあった。どれも大事には至らなかったが、コロナ禍ではどうなっていたか、想像すると冷や汗が出る。

 何ごとも思い立ったが吉日。善は急げ。せっかちな父には振り回されることもあるが、その行動力のおかげで、わが家の気がかりをずいぶん片付けてもらった。

 いつ、どんなことが起こるかわからない。やろうと思ったことは、後回しにせずやっておけと、父とコロナが無言で教えてくれた気がする。

 が、わかっちゃいるけど、なかなかできないんですよね。ステイホームに慣れきった私が「よっこらしょ」と重い腰を上げるのは、まだ少し先になりそうだ。

⇐その38 人生の衣替え

その36 なるようにはなる⇒

投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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