その6 生き運バンザイ

父ときどき爺

 父は、九死に一生を得て90歳になった。

 これまでの人生の中で、いのち拾いをしたことは何度かあったらしいが、最も古い記憶は井戸からの生還劇だという。

 それは、父がまだ3歳だった春のこと。道端に咲いていた黄色い花を摘んで、近くにあった井戸をのぞきこんだ。手に持った花をゆらすと、水に映る花もゆれる。それがおもしろくて身を乗り出した瞬間、ドボン! 井戸の中に落ちてしまった。人通りのない場所だったので、運が悪ければ見つけてもらえなかったかもしれない。

 けれど、父には生き運があった。たまたま通りかかった娘さんが、落ちた瞬間を見ていたのだ。「誰か助けて!」と娘さんは叫んだが、あたりには誰もいない。すると、そばに置いてあった竹竿を井戸に差しこんで、「手を離しちゃいけんよ!」と何度も声をかけ、懸命に引っぱり上げてくれた。竹竿の先には水を汲むための桶が付いていて、幼い父はそれに必死でしがみついていたそうだ。

 深さが10mくらいあった井戸だったので、「若い娘が、よう一人で助けたもんじゃ」と評判になり、いい縁談が決まったという後日談もあったらしい。

 90歳になった今も、昨日のことのように話す父の言葉からは、感謝の気持ちがありありと伝わってくる。その娘さんがいなければ、父も私もいなかったかもしれない。人はきっと、名も知らぬ誰かに助けられながら生きているのだろう。

 そして、父の最も新しい九死に一生の記憶は、癌の手術をしたことだ。今から3年前、87歳のときに父の肝臓に癌が見つかった。何もしなければ余命1年と告げられたが、カテーテルによる治療を繰り返し、小さくなった腫瘍を切除できる可能性が出てきた。

 そのことを父に伝えると、「この歳で切ったはったは、もうええ」と首を横にふった。私も父の意思を尊重しようと思ったが、とりあえず外科の先生から詳しい話を聞いてみることにした。

 「この歳で…」と父が口を開くと、「この手術に年齢は関係ないんですよ。80代でも60代並みの体力がある方もいて、こればっかりは個人差なので…」と言われた。そして、「とても87歳には見えませんよ。お若いですねぇ。検査結果も体力があると出ています」と。それを聞いた瞬間、父の顔がパッとほころんだ。

 若々しくて体力がある。この言葉が父の心に響いて、背中を押したらしい。数日後には「悪いもんをずっと持っとるより勝負が早い。よし!手術しよう」と、きっぱり決断した。何の勝負かはよくわからないが、その勢いに押されて私も「うん!がんばろう」と応えていた。

 おかげさまで手術は成功し、3年経った今も父の肝臓はすこぶる元気だ。定期検診から帰ってくるたび、「わしには体力と生き運があるんじゃのう」と笑っている。

 言葉にいのちを救われることもある。そのことを、父の決断と生き運が教えてくれた。

⇐その7 「ねん金」と「ねる金」

その5 これも富士山のご利益?⇒

投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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