その73 終活の、その先へ

父ときどき爺

 父は96歳になって、また人生のギアを上げたようだ。

 お盆に家族で食事をしたときのこと。ビールを片手にごきげんな顔をした父が、みんなの前でこう言った。「百歳は終点じゃなくて通過点じゃ」

 6月に誕生日を迎えたときは、百歳まで生きるのが目標だと語っていたのに、それは単なる通過点に過ぎないという。人生の終点を決めない超・長寿宣言に変わったのだ。

 ビールを飲んで「生きとってよかった」、天ぷらを食べて「生きとってよかった」と屈託なく笑う父。体調を気にすることなく好きなものを飲み食いできる96歳にとって、あと4年なんて楽勝なのだろう。

 世は終活ブームである。家族や周囲の人に迷惑をかけたくないから。老後の生活を安心して送りたいから。こうした思いが、終活をはじめるきっかけになっているそうだ。

 父の場合、終活という言葉こそ使わなかったが、故郷の家じまいと墓じまいをしてくれた。87歳で癌の手術をして、また元気に動けるようになったとき、「これを片付けるのが、わしの最後の大仕事じゃ」と腕まくりをしたのだ。

 60代や70代で終活をはじめた方にとっては、遅い決断だと思われるかもしれない。けれど、百歳を通過点にして、その先を生きようとしている父にとっては、ベストなタイミングだったのだろう。

 いろいろ面倒な手続きはあったけれど、振り返ってみれば思い通りに事が進んだような気がする。その流れをつくったのは、「住まんようになった家は家族にとってマイナス財産じゃ」と、父が本気で終活をする気になってくれたことだ。

 当事者が思い立ったときこそ吉日。人生のターニングポイントは人それぞれにあって、終活をスタートするのに遅いも早いもないのだと思う。

 
 家じまいの大仕事を終えて肩の荷を下ろし、身軽になった父の生き方は軽やかに見える。これは心持ちの話だけれど、そういえば見た目もスッキリしてきた。高齢者施設に入居したときは、「健康のためにもう少し痩せましょうね」と言われていたが、毎月の体重測定のデータを見ると、昨年あたりから少しずつ減っているのだ。

 コロナ禍に大腿骨を骨折して入院したことや、退院してからも以前よりは運動量が減って筋肉が落ちてきたことなど、マイナスの要因もいろいろ重なっているだろう。けれど、健康診断では特に問題はないようなので、ここはひとつ前向きに考えたい。カロリー計算された食事と、毎日の体操やレクリエーションのおかげで、無理なくダイエットができたのだと。

 身も心も軽くなった父は、百歳という通過点をひょいっと越えて、その先の景色を見に行くことだろう。

【次回更新 その74】
2023年10月3週目(10月16日~20日)予定

投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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