その16 年賀状はそろそろ

父ときどき爺

 父は毎年、300枚近い年賀状を出してきた。

 印刷したものに一枚一枚、丁寧に添え書きをして、宛名はすべて手書きだ。

 ある時、書き終えた年賀状を何枚かテーブルに並べて、じっと腕組みをしていた。出来映えが気に入らないのだろうか…気になって近づいてみると、「見てみい。字は下手になったが、チカラはまだある。年寄りが書いた字には見えんじゃろ?」とご満悦だった。

 父と同年代の方々は多くが鬼籍に入られ、喪中葉書を受け取ることが多くなった。それでも、300枚を出し続ける父には頭が下がる。「すごいねぇ。私はそんなに書けんよ」と言うと、「みんな虚礼廃止がええと思うとるんじゃろうが、なかなか自分からはやめられんもんじゃ」と笑っていた。

 サラリーマン時代、文書広報課に所属していたこともある父は、対外的な文章を書き慣れているようだ。91歳になった今でも、頂き物が届くと葉書を取り出して、ちゃちゃっとお礼状を書く。娘の私のほうは、文章を書くことを生業としていながら、プライベートでは情けないほど筆無精。父のような芸当は、とてもじゃないけど真似できない。

 とは言え、父の年齢で大量の年賀状を書くのは、体力的な負担が大きくなっているように思える。そろそろ年賀状は失礼してもいいのでは…と言おうとしたが、せっかちな父は準備をはじめるのが早いので、切り出すタイミングを逃したまま数年が過ぎた。

 そして、昨年の12月。「今年は年賀状をやめて、年が明けてから寒中見舞いを出すことにする」と父が言い出した。年賀状を頂いた方だけに返事を書くというスタンスで、失礼のないよう徐々に枚数を減らしていく。それが、父の作戦らしい。

 その手があったか。私が余計な口出しをしなくても、父は自分のことは自分で決める。

 思えば、年賀状をやめるタイミングだけでなく、運転免許証を返納するのも、故郷の家じまいをするのも、父はすべて自分で決めた。定年退職後は関連会社に勤めることもできたようだが、母と二人で故郷に帰ることをスパッと決断したのも父だ。

 亭主関白。がんこ親父。そんな言葉はまったく似合わないタイプなのだが、なんでも自分の思い通りに事を進めてきたような気がする。それも、ゆる~い口調で、いつの間にか。

 その結果、どんな状況になっても、愚痴めいた言葉は聞いたことがない。自分で選んだことだから、しょうがないと思っているのか。自分の人生を、誰かのせいにはしたくないと思っているのか。いずれにしても、愚痴を聞かずに済むのは、同居する娘としてはとても助かっている。

 そのかわり、と言ってはなんだが、父は私と暮らすようになってから「お互いマイペースで行こうの」という言葉をたびたび口にする。それは、自宅を仕事場にしている私への気遣いであると同時に、自由にさせてくれと言う意思表示なのだろう。私が世話を焼き過ぎた時に、ちくりと小さな釘を刺しているのかもしれない。

 はいはい。元気なときはお互いマイペースで、付かず離れず生きてまいりましょうね。

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投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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