その29 耳掃除と寒中見舞い

父ときどき爺

 父は、たまった耳あかをごっそり取って、新年を迎えた。

 年末の恒例だった年賀状を書くことをやめた父には、これといった年越しの準備はない。老人ホームに入居することを決めたとき、自分で身の回りのモノをばっさり捨てたので、片付けは済んでいる。

 それはもう、惚れぼれするほどの捨てっぷりだった。「残しとったら、あとで捨てるんが大変じゃあ」という私への気づかいと、もともとモノに対する執着がない性格が相まった断捨離だ。

 その姿を見て「私も」と腕まくりをしてみたものの、まだまだ未練のあるモノばかり。父と私では人生経験が違い過ぎるので、真似をするのは30年早い!ということだろう。

 こうして身軽なホーム生活をはじめた父が、師走のある日、補聴器をはずしながら「正月までにやっときたいことがあるんじゃが」と切り出した。「補聴器の調整?」「いや、耳鼻科で耳あかを取ってもらおうと思うて」。

 私がうっかりしていた。ホームに入居してからは、父の耳あかまで気が回らなかったのだ。けっこうたまっていたので、耳鼻科で取ってもらったほうがいいと、スタッフの方に言われたらしい。

 図らずも、父にとって年用意のメインイベントになった耳鼻科での耳掃除。時間にするとほんの5分くらいのイベントだったが、「よう聴こえるようになったわぁ。これですっきり正月が迎えられる」とご満悦だった。

 毎年、律儀に年賀状を書いていた父が、「そろそろ失礼してもええじゃろ」と言い出したのは、90歳になった一昨年のことだ。そのかわり、年賀状をいただいた方には、年が明けてから寒中見舞いを出すことにして、徐々に枚数を減らしていく作戦らしい。

 その作戦を決行した最初の年。父は自分で考えた挨拶文をハガキの大きさの紙に書いて、ご近所の印刷屋さんに持って行った。私がパソコンで打ち直して、家のプリンタでも印刷できることを伝えたが、「年賀状のかわりじゃけぇ、正式に印刷してもらおう」と譲らなかった。

 数日後、刷り上がった寒中見舞いを受け取りに意気揚々と出かけた父は、苦笑いをしながら帰って来た。

 「こんなんが出来とったわぁ〜」と見せてくれたハガキには、父が書いた文字がそのまま印刷されていた。「正式に印刷してもらうつもりじゃったんじゃが、まぁ仕方ない」と、あきらめたように笑っている。父の思う「正式」とは、活字できっちり印刷することだったが、どうやら思いがうまく伝わらなかったようだ。

 耳が遠い父は、相手の話がよく聴こえていなくても、雰囲気で返事をしてしまうことがある。印刷屋さんでは、直筆のまま印刷するか、打ち直して印刷するか、申し込む段階で確認されたに違いない。そのとき、父の頭の中には、自分の書いた文字がそのまま印刷されるというイメージは全くなくて、訊かれたことがピンと来なかったのだろう。

 けれど、怪我の功名、瓢箪から駒。出来上がったハガキを見たとき、温かみがあってとてもいいと私は思った。定型文ではなく近況を綴った寒中見舞いだったので、味のある直筆のほうがよっぽど父らしい。

 「お父さん、いいよいいよ、このハガキ」「ほうかぁ?」「うん。お父さんの字を見て、元気にしとってんじゃね〜と思ってもらえるよ」「ほうか。じゃあ、宛名もなるべくええ字で書こうかの」と気を取り直した。もしかしたら父自身、まんざらでもないと思いはじめていたのかもしれない。

 こうして第1回の寒中見舞い作戦は、結果オーライとなった。

 耳掃除ですっきり年用意をして2020年を迎えた父は、今年も寒中見舞いの文案づくりという初仕事を楽しんでいる。


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投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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