その30 気のすむまでどうぞ

父ときどき爺

 父の2020年の抱負は「悔いなく食いまくる」ことらしい。

 年末年始をわが家で過ごした父は、とにかくよく食べた。朝はお雑煮のお餅を3個。喉に詰まらせないかと気が気ではないが、横目で見張っている私のことなど眼中になし。目の前のお椀にだけ集中して、わしわし食べ切った。

 「うまいのう。大満足じゃ」と言いながら、重箱にも箸がのびる。とても味わっているようには見えないワイルドな食いっぷりは、93歳になる初春を迎えても健在だ。

 親戚の集まりでは、昼間からお酒も入って上機嫌。「はぁこれで、いつお迎えが来ても悔いはないですわぁ。ま、今日はよう食いましたが」と、悔いと食いをかけて笑いをとることも忘れない。

 みなさんがウケてくださると、父は気がすんだように「ごちそうさま」と手を合わせた。食べ終わった途端、まぶたがとろんとして「眠たい」のサインを送ってくるのも相変わらずだ。こうなると、もう家に帰って寝るしかない。父は昔から、どんなに楽しい集まりでも、すぐに眠たくなって長居ができない体質なのだ。

  父はよく食べただけでなく、よく寝た。

 テレビを見ながら横になると、ものの数分もしないうちに寝息が聞こえてくる。これもまた、気のすむまで寝てもらうことにした。老人ホームに入居してから、午前10時と午後3時におやつを食べる習慣がついたので、その時間になるときっちり起きてくるからだ。それはもう職人芸に近いほどの正確さで、体内時計が動いている。

 そう思って、私はちょっと油断した。父が昼寝をしている間に、小一時間ほど外出したのだ。

 用事をすませて帰ると、マンションから閉め出された父がいた。「どうしたん!?」「おお、ここは鍵がないと入れんのじゃのう。ちーと散歩しよう思うて。家は出たんじゃが入れんわい」「・・・?」。

 半年前まで自分が住んでいたマンションが、オートロックだったことを忘れてしまったのだろうか。父が鍵を持っていないということは、今、わが家の玄関に鍵はかかっていない。ひょえーっ!

 あわてる気持ちをなんとか抑えて、「大丈夫?寒くない?」と声をかけた。「おお、大丈夫じゃ。鍵がないと入れんようになったんじゃのう。知らんかったわ」。

 父が住んでいたときから何も変わっていない。その言葉を飲み込んで事情を訊いてみた。どうやら、マンションの入口を出たところで、杖を忘れたことに気づいて取りに帰ろうとしたらしい。頼みの管理人さんは、お正月休み。それで閉め出されてしまったのだ。

 あったかいお茶を飲んでひと息ついたあと、一緒に散歩しようと誘ってみた。「今日はもうええわ」と、父は照れたように笑った。不本意な顛末ではあったが、行動を起こしたことで気がすんだのかもしれない。

 翌日は、散歩がてら一緒に出かけた。父のテンションは上がっていたが、外出先で食事をしたら、またすぐに「眠たい」のサイン。ウルトラマンよりは活動時間が長いものの、エネルギーを消耗するのがめちゃめちゃ早い。だから、本能のままによく食べ、よく寝て、チャージしているのだろう。

 どんな小さなことでも、思い立ったら気のすむまでやってみる。それでチカラを使い果たしても、回復する術を知っている。2020年の幕開けに、あらためて父の長生きの秘訣を垣間見た気がした。

 ただし、本音を言わせてもらえば、父と外食をすると、急かされているようで食べた気がしない。早食いでせっかちな父は、私がまだ食べている途中でも、そそくさと帰りじたくをはじめる。それだけは、勘弁してもらえるとありがたい。どうか今年こそ、この小さな願いが父に届きますように。

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投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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