その70 思い出し笑いの効用 

父ときどき爺

 父が、大笑いをしている写真がある。つい最近、親戚が会いに来てくれたときに撮ったものだ。

 新型コロナウイルスの位置づけが5類感染症に移行したタイミングで、父がお世話になっている高齢者施設の面会制限も緩和された。それまで、県外からの訪問者の面会は原則禁止されていたので、遠くの親戚には遠慮してもらっていたのだ。

「会いに行きたいんだけど、今どんな状況?」と訊かれるたび、父が元気であることだけは伝えていた。ようやく面会できるという返事ができて、私の胸のつかえがおりたのは、父の年齢のこともある。すこぶる元気な95歳ではあるけれど、会えるときに会っておいてもらいたいという思いが、いつも心のどこかにあるのだ。

 娘の私より付き合いが長い親戚たちと、久しぶりに再会できた父のテンションは上がりっぱなし。立ち上がって踊り出さんばかりの陽気さに、親戚は口ぐちに「元気そうで何より」と笑ってくれた。

 
 ただし、父は親戚と顔を合わせてすぐにノリノリだったわけではない。「どなたさんですか?」と名前を訊いても思い出せないようで、「マスクをしとると、わからんのう」と苦笑いをしていた。耳が遠いので、名前を大きな声で何度も伝え、マスクもちょっとずらしてもらい、昔の写真も見せた。あの手この手で父が思い出すのを待っていたとき、どこかのスイッチがパチッと入ったのだろう。記憶の引き出しにしまっておいた思い出が、あふれ出したようにしゃべりはじめた。

「おう、おう、そうじゃった、そうじゃった」と、父の表情がみるみる晴れやかになっていく。あんなこともあった、こんなこともあったと思い出しながら、みんなで大笑いをしている。私が知らない時代のことも、つい昨日のことのように話す父。今朝のごはんのことは忘れても、昔の記憶はイキイキとよみがってくるようだ。

 一つ思い出して笑えば、また一つ、懐かしい失敗談が飛び出して笑い、父がどんどん若返っていくように見えた。みんなにつられて私も笑ったので、若返りの効用があるなら、あやかりたいものである。

 面会の時間制限があるなか、楽しいひとときを過ごした父の心残りは、みんなと一緒に飲んで食べて、もてなすことができなかったことだ。「せっかく来てくれたのに、なんのおかまいもできんで」と申し訳なさそうに言う父。人をもてなすことが好きな父の性格を知っている親戚は、「百歳のパーティは盛大にお祝いしましょうね」と楽しい目標をつくってくれた。

 どんな思い出も、時の魔法で笑いになる。この日のことも、飲めや歌えやの百寿の宴を盛り上げる、笑い話になってくれるだろう。


【次回更新 その71】
2023年7月3週目(7月18日~21日)予定

投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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