思い出せなかった思い出を整理しました。【46歳、そろそろ実家を片付けてみる】完結編

46歳、そろそろ実家を片付けてみる。

こちらのコラムでも私が先延ばしし続けてきた、実家の私の部屋の天袋の片づけ。
何をしまったのかは忘れていて、つまり、忘れていいほどのモノしか入っていないはず。
両親に「捨てていいよ」と言いたかったのですが、
万が一、とんでもなく恥ずかしいモノがあって、両親に見られたら…。
面倒だけどやらなければならない!と決意を固めて、ついに片付けてきました。

自分の思い出は自分で処分する


父が天袋から降ろしてくれたのは、私の名前が書かれた段ボール箱。
開けてみると、小学生の修学旅行で自分のために買った萩焼きが出てきました。
「酒」と書いてある、なかなか渋い絵柄の土鈴。
これを選んだ当時の私のことが味わい深いので、持ち帰ることにしました。

その下をどんどんさぐると、文集や日記帳、友達と交換した小さな手紙やノート。
ハート形などにかわいく折りたたんである手紙を広げたり、
ノートをめくったりしていると、
かわいさよりも恥ずかしさに襲われました。

子どものころの私は、私が思っていたよりも気が強く、
少し悪ぶる感じがかっこいいと思っていた様子も見えてきました。
思い出は都合よく編集されているんだなと実感しました。
甘酸っぱい思い出の詳細な記載もあり…。
悩んでいる様子はかわいくも見えますが、照れてしまう内容です。
自分で片付けることができてよかったと、ほっとしました。

何が入っているか分からないくらいだから、今は必要のないモノです。
でも実家に置いてきたモノは、思い出がセットになっています。
処分を家族に任せてもいいですが、
少しだけでも思い出に浸って処分をすることをお勧めします。

モノを見ながら、段ボールに詰めたときの気持ちも思い出しました。
大人になったらこれを見ながら思い出そう。
そう思った私の思い出を、私が思い出すことができてよかったです。

思い出のモノにも種類がある


私が描いた油絵が何枚かありました。
「額も古くなったし、捨ててもいい?」と母に言われて即答できませんでした。
絵画教室に通っていたときの作品です。私が見ても上手だと言えないし、飾ることもできません。
でも、まだ捨ててほしくない、と思いました。
「捨ててもいい?」は言われると寂しいものです。
もうちょっと実家に置いてもらうことにしました。


もう一つ、勝手に置いてきたモノがあります。
それは私の工作作品。リコーダーをふいている私を紙粘土で再現しています。
実家に、子供のころの自分を残しておきたい、そんな気持ちで飾っておきました。

当時、処分できなかっただけのモノ、例えばプレゼントが入っていた包装紙、
好きだった雑貨類は躊躇なく処分できました。
家族にも恥ずかしい個人的な思い出のモノは持ち帰って、
一人で思い出に浸った後に処分することができました。
一方で、私の痕跡として私のモノを実家に残してきました。
いずれは、私自身が処分する時がくるはずです。
このように、思い出のモノは時期をずらしながら、
少しずつ片付けていけるのかもしれません。

実家の片付けは家族行事


なかなか進まない片付けでしたが、実家の片付けは私が子供に戻ることができた楽しい時間となりました。
父の大事なものが分かったり、母の選択基準を初めて知って驚いたり、
楽しい家族行事となったように思います。
両親が家の片づけを始めていることに、さみしさも感じながら。
あとは両親が片付けを進めていくそうです。

私が今住んでいる家にも、思い出がたまってきました。
思い出と付き合いながら、暮らしやすい片付けを探していきたいと思います。

読者の皆さま、甘えっぱなしの娘の実家の片づけに、
お付き合いくださりありがとうございました。
皆さまのお片付けも、ご家族と向き合える時間となりますように。

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