その25 ほどほどのおもてなし

父ときどき爺

父は、来客があると「おもてなし」の血が騒ぐ。

 もてなされるよりも、もてなすほうが好き。それは、老人ホームに入居してからも変わらない。親戚が会いに来てくれることを伝えると、その瞬間から父の頭の中で段取りがはじまるのだ。

 自分の部屋に招くことを想定しながら、「お茶と茶菓子を用意して、椅子を人数分だけ借りて来て、テーブルの位置はこれでいいか、エアコンの温度は暑くないか寒くはないか」と、ぐるぐる、そわそわ。

 思えば、私と二人で暮らしているときも「遠来の客じゃけぇ、どこを案内したらええか下見に行って来る」と、何日も前からいそいそ出かけていた。さすがに今は、そこまではしない。けれど、当日まで落ち着きがなくなるのは同じだ。なので、来客があることを父に伝えるのは前日にしている。

 あれこれ考えて、おもてなしの準備をする時間も、父はきっと楽しんでいるのだろう。それならば、早めに伝えてあげればいいのでは?と思われるかもしれない。私もそうは思うのだが、父の場合、準備段階でチカラを出し尽くしてしまい、テンションがマックスになる。その反動で、当日はチカラが抜けたようになり、応対がそこそこになってしまうのだ。

 みんなで楽しく話をしていても、すぐに眠たくなるという顛末を、これまで何度も見てきた。せっかく会いに来てくださったのに、父自身も楽しみにしていたのに、これではもったいない。なので、本番に向けてチカラを蓄えておくためには、準備期間はほどほどがいい。

父の財布も、おもてなしのためにある。

 ホームに入居することになったとき、注意書きを確認していると「現金などの貴重品は持ち込まないように」という一文があった。日々の生活にかかる利用料やイベント参加料などは、すべて銀行口座から引き落とされるため、ホーム内で現金は必要ない。それに、父が入居するのは個室だが、部屋ごとに鍵はついていないので、トラブルの種になるような金品を持ち込むのはマナー違反だろう。

 そのことを父に伝えると、「じゃが、まぁ、ちーとは現金を持っとらんと不安じゃのう」とため息をついた。それもそうだと思い、「いくらくらいあればいい?」と訊いたところ、私の予想よりも多い金額だった。

 「もうちょっと少なくてもいいんじゃない?」「ほうか」「うん。いるものがあれば私が買って行くし」「いるもんは別にないが・・・外に出て食事をするとき、わしの財布に金がないとみんなの分が払えんわい」。

 父には、おもてなし資金が必要だったのだ。

 「じゃあ、お父さんがうっかりなくしたとしても、あきらめがつく金額にしようよ」「ほうじゃの。まぁ、そんな豪勢なものを食べるわけじゃないし」と、ほどほどの金額で折り合いがついた。

 おもてなし体質の父は、娘の私と外出するときも、タクシー代から食事代まで自分の財布からすべて払おうとする。「いいよいいよ」と手を振っても、そこは決して譲らない。どのあたりまでが、ほどほどの甘え方だろうと思いつつ、「ごちそうさまでした」「お祖末さんでした」という父娘のやりとりは、すっかり板についてきた。

⇐その26 そこはひとつ小声で

その24 ようがんばっとる脳

投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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