30代、40代、親の老いと向き合う

親の介護コラム

兄ふたりを持つ、3人兄弟の末っ子の私はもうすぐ39。両親は70を超えた。

20代後半まで両親と同居し、結婚した今も毎日会える距離に住んでいる。娘が産まれてから、実家へ寄る日も増えた。

ここ何年も、わざわざ両親の写真を撮ることはなくなっていたが、娘を撮るついでに写り込ませるようになった。

ふと写真を見返してみると、そこにバリバリの営業マンだった父はいない。背中が曲がり小さくなって、ハタから見れば白髪の頼りなげなおじいちゃんだ。

癌も見つかり、2度の大きな手術もした。1日に何度も横になったり、夕食後にうたた寝することも増えた。

ひと月のほとんどを車で出張していた父は、何度か危ない目に遭うことはあったが、車の運転には自信を持っていた。

それが70を過ぎたころから、少し運転に危うさが見えるようになり、以前は私が助手席に乗ることもあったが、今は一緒に出掛ける時は父のほうから助手席を選んで座るようになっている。

ある日、慣れているはずの駐車場でほんの少しドアを擦ったらしいと、母伝いで聞いた。あれほど自信のあった運転が思い通りにならなくなったことに、ショックを受けたことだろう。

「擦ったんだって?」と茶化して言ってみると「よく見えんかった」とバツの悪い顔をした。

昔とは違うんだな、と、鼻の奥が少しツンとした。


母と自転車で買い物に行くときは、絶対に母を追い越さないと決めていた。

中学生になり、高校生になり、遅いなーと思っていたけれど、娘は後ろを追いかけるものだと思っていたから。

いつの間にか、私が先を走るようになり、今度は後ろの速度を気にするようになった。私が母を車の助手席に乗せて出かけることも多くなった。

私が20歳を迎えた年の母の誕生日、ふたりきりで当時流行っていた居酒屋に行き、一緒にカクテルを数杯飲んでいろんな話に花を咲かせた思い出もある。

社会人になってからは、一緒にデパートに行っては靴や洋服選びに付き合ってくれた。

私の趣味を理解してくれ、「じゃあそれにしたら」と最後には必ず娘の気に入ったものを笑顔で認めてくれるのが、どんなに仲の良い友人よりも嬉しい存在だった。

今ではできるだけ疲れないように、体調が悪くならないようにと心配ばかりで近場の買い物ばかり。まだまだ私よりも元気だったりするのだけれど…。

親はいつまでも元気で、いつまでも自分より強く、いつも自分を守ってくれる存在だと思っていた。

いつ、追い越したんだろう…。

いつまでも元気でいて欲しい、いつまでも自分より強くあって欲しいと思うけれど、必ず老いはやってくる。

時には突然親を失ってしまったり、昨日まで元気だったのに突然介護が必要になることもある。そう考えれば、こうしてゆっくり親の老いに立ち会えることは幸せなことなんだろうなと思う。

ひとつずつできることが増えてくる娘と、できないことが増えてくる両親。

いつか「その日」はやってくる。

そして「その日」はそれほど遠くないこともわかってる。

私なりの親の老いとの向き合い方を考える日々だ。

(みほ/39)

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