私たちが住む街に、すぐそばで、気になる表現活動をしている人がいます。その現場に行って取材をするのは、日本で一人しかいないアウトサイダー・キュレーターの櫛野展正。
今回取り上げるのは、青森市で床屋を営む「バーバー千刈」の黒滝武蔵さん。シャイな性格とは裏腹に旺盛な追求心と反骨心からつくり出される作品は、大量の骨董品の中に紛れながらも生々しく、今にも動き出しそうな気配がします。
提灯や造形物が並ぶ床屋
目の前に広がる白銀の世界。瀬戸内海という温暖な気候で育った僕にとっては、全てが見慣れぬ光景だ。やって来たのは日本有数の豪雪地帯・青森市。青森駅から車で数分走ったところに、目的地の「バーバー千刈」はあった。外には「提灯亭」「アート武蔵提灯」などの看板が掲げられ、アンティークな調度品や郵便ポストまで並んでいる。降り積もった雪のせいもあり、サインポールがなければ床屋だと気づく人は少ないかもしれない。店内には一台だけの散髪台を取り囲むように、独特の空気感を纏う提灯や造形物が展示されている。
「爺さんは提灯職人だったから、その手伝いで18歳から提灯制作やってんのさ」と声を掛けてきたのが、この店のオーナー・黒滝武蔵(くろたき・たけぞう)さんだ。「俺の写真は1枚だけな」とシャイな黒滝さんは椅子に座って、その半生を語ってくれた。
青森市で3人兄弟の長男として生まれた黒滝さんは、小学校の頃、絵を描くと「誰に手伝ってもらったんだ」と周囲から疑われてしまうほど模写が上手かった。「中学校の美術の授業で、屋根を赤色に塗っていたら、美術の先生が『こういう屋根はない』と俺の絵を悪い見本としてみんなに見せるのよ。確かにその頃、日本には赤い屋根はなかったんだけど、イタリアなんて赤い屋根だらけだよ。それから俺は、色を塗らなくなったし美術の時間も絵を描かなくなったの。でも、その先生は青森で一番有名になって、赤い屋根を描いてるんだよね」と笑う。この頃から、アカデミックな美術教育に対する懐疑心が芽生えたようだ。その代わり、中学・高校時代は駅伝に熱中した。
インターン経験なしで独立開業
卒業後は、「前掛けをつけた仕事がしたい」という思いから食品会社の昭和産業に就職。小麦粉や肥料の配達などで駆け回っていた時、偶然その会社に就職を斡旋した高校時代の恩師から「毎日同じもの配達して何やってんだ」と声をかけられた。その一言が後押しとなり、ちょうど仕事で悩んでいたことも重なって4年目の年に退職。
その後、よく遊びに行っていたダンスホールのお客さんがほとんど理容師をしていたこともあり、「こんな連中ができるんだったら俺にもできる」と一念発起。奨学金をもらいながら1年間理容専門学校に通い始めた。ところが、入学式と卒業式に顔を出したくらいで正味1ヶ月も通わなかったそうだ。その理由について「卒業したってインターンで4年ほどこき使われるでしょ。基礎さえ頭に入ってれば、あとは実践あるのみだから、家族や友だちを実験台にカットの練習をしてたのさ」と教えてくれた。
20歳で結婚して蕎麦屋でアルバイトをしながら「ちょうど参考書の問題が出たからね」と国家試験も一発合格。「実技試験もカットだけだったから、俺が一番うまかったんじゃない。髪が床に落ちてれば合格だったよ」と笑みを浮かべる。
25歳と言う異例の早さで「バーバー千刈」を独立開業し、現在の場所に移転して30年になる。この場所は、庭園だった所を更地にして、集めていた窓や欄間などを利用しアンティーク風の店内に改装したものだ。繁忙期は1日に20人ほど来ていたが、5年ほど前からは常連だったお客さんも次々に亡くなっていき、新規顧客はゼロの状態だと言う。売上を上げるために20歳の頃から集めていた骨董品を売ろうと、お客さん用だった駐車スペースを骨董品店に改修したものの、「宣伝してないし誰も来ないから」と売り上げはゼロ。「そもそも商売っ気がないんだよね」と陽気に笑う。
「カット料金はシャンプーや顔剃り込みでオープン当初から変わらず2000円。それでもお客さん来ないんだよ。腕には自信あるんだけど、お客さんの接待とかしないもん、『来るなら来ればいいじゃん』って思ってるし、お客さんのニーズに合わせて髪を切るのが苦手なんだよ。『顔そりは銭湯さ行って剃れとか、毛染めはコンビニで買って自分でしてくれ』と色んなこと言い合ってるからね。だから生活のために理容師を続けてるんだよね」と語る。
長女に似た石膏人形との出会い
そんな黒滝さんが人形制作を始めたのは、40歳の時のこと。きっかけは、奥さんが他界して間も無く、近所にラーメンを食べに行く際に「親父の好きそうな店があるよ」と小学校1年生だった次男が教えてくれたことだった。その店先に飾られていたのは、家出中だった長女にそっくりな石膏人形で一気に心奪われた。非売品だったが、1時間見つめていたところ10万円で購入することができたと言う。
作者は店主の人形作家で、彼女が次男のために5分ほどでウルトラマンの人形をつくってくれた。その光景を見て「何なんだ、この世界は」と人形造形の世界に魅了された黒滝さんは、粘土と細工棒を購入し見よう見まねで制作してみたものの1年経ってもウルトラマンすら出来なかった。模写の技術に対しては絶対的な自信を持っていた黒滝さんの鼻はへし折られてしまったというわけだ。「形あるものに向かっている自分がいたわけ。どこで手を止めていいか分かんなくてね。でも、この時の繰り返しが基礎になってるんでないの」と当時を振り返る。
黒滝さんは、人形作家の先生から直接教えを受けることもなく、先生の人形を徹底的に研究し技術を習得していった。2年後からは、石膏人形の上から縮緬(ちりめん)を貼った人形づくりにも挑戦するようになった。店内に飾られている郷土出身の棟方志功や淡谷のり子の人形は、そうした縮緬の技術を活用したもので、人形の皮膚が生きているかのようなあたたかみを感じさせる。
他にも「アニメや特撮を俺だったらどう表現するだろう」と挑戦した鉄人28号やウルトラマンの人形や躍動感ある表情が特徴的な赤胴鈴之助をモデルにした人形など、多彩な表現が店内には広がっている。きっと、どの作品も時間をかけて、人形たちとの対話を楽しみながら完成させたんだろう。
特に多いのが、現代美術家・奈良美智の絵を模した作品だ。元々、奈良美智の大ファンだったが、ある時贋作を手に入れてしまったことで「だったら自分にもできる」と、店内に沢山の作品をつくり続けている。キャンバスに描いたように見える絵も使用済みの前掛けを素材としたというからその発想の豊かさには驚いてしまう。
「観に来い!」誰も来ない作品展
人形や提灯制作・床屋に骨董品店と趣味に仕事にとフィールドを横断している黒滝さんだが、「人ができないことを一生懸命苦労しながら形にした方が面白いよ」とその独学自修の姿勢は一貫している。
「人形の作品展も10年ほど前から4回くらいやってるけど、誰も来ないんだよ。何でお前たちこんな面白いの分からないんだ、観に来いって思うよね」と愚痴をこぼす姿も、お話を伺った後では何だか微笑ましく思えてしまう。現在、黒滝さんの多彩な作品群を目にすることができるスペースは、この「バーバー千刈」だけ。冬場は特に足が遠のいてしまいそうだが、それでも十分足を運ぶ価値のある場所だと僕は確信する。最後に「せっかく来たんだから散髪してくださいよ」とお願いしたら予想通りの答えが返って来た。
「嫌だ」。黒滝さん、いつまでもお元気で。
投稿者プロフィール
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文・撮影
櫛野展正(くしの のぶまさ)
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
住所:広島県福山市花園町2-5-20
クシノテラス http://kushiterra.com
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