#5 日本のシュヴァル

アウトサイドからこんにちは!

 バラエティ番組「アウト×デラックス」にて、架空芸人を創作する「けうけげん」の紹介者として出演した櫛野展正(くしの・のぶまさ)によるコラム。
今回取り上げる表現者は、人生をかけてセルフビルド建築に挑む沖縄の饒波隆(よは・たかし)さん。なかなか取材に応じることのない「日本のシュヴァル」の貴重な話と写真、そして動画まで、ボリューム満載でお届けします。

沖縄県在住 饒波隆(よは・たかし)

岩山にへばりつく男

 1879年、フランス南部の片田舎で、郵便配達人だったフェルディナン・シュヴァルは奇妙な形をした石につまずいたことがきっかけで、拾い集めた石を積み上げ、33年に及ぶ「宮殿」の建設に着手した。シュヴァルの死後、この「宮殿」はフランス政府によって文化財登録され、現在では「シュヴァルの理想宮」として世界中から多くの観光客が訪れている。

 今回僕がやってきたのは、そんな理想宮からは1万キロ以上も離れた沖縄本島だ。那覇空港からレンタカーで沖縄自動車道を北上すること1時間半。「沖縄美ら海水族館」などの有名観光施設を横目に、のどかな県道を走っていると、カーブを曲がった先に突然大きな岩山が現れた。一見すると、中国にある石林のような雄大な地形にも見えるが、岩山の中央から覗く窓が、その異質さを際立たせている。

 「もしかして」と思い、道路沿いに車を停め違う角度から眺めてみると、この岩山は鉄筋コンクリート住宅に石を張り付けた「住居」であることが分かった。その迫力に思わず写真を撮っていると、「ちょっと待ってね、いま降りるから」と声が聞こえてくる。声のする方を見上げると、麦わら帽子にTシャツ姿の男性が岩にしがみ付いているではないか。もちろん命綱などしていない。

 「階段状につくってるから、梯子みたいな感じですよ」とほんの数秒で僕の前に降りて来たのが、この家で独居生活を送る饒波隆(よは・たかし)さんだ。饒波さんは、カルスト地形になっている近くの山から板状の石灰岩を拾って来ては、それを積み上げ、石と石の隙間をモルタルでくっ付ける作業を続けている。それもたった1人で、この作業を続けて30年以上。そう、ここにもシュヴァルはいたのだ。

岩山にした自宅に植物を植える

 饒波さんは、8人兄弟の末っ子として、この街で生まれた。子どもの頃から魚釣りや水生生物の飼育設備である「アクアリウム」に熱中した。中学卒業後は、建築関係の仕事をしていた長男の勧めで、工業高校の建築科へ進学。その後も「何をしたら良いのか分かんなかったから」と本州にある大学の建築科へ進んだ。「いま考えれば、別の道もあったんだよね。本当は自宅で熱帯魚屋さんをやりたくてね」と教えてくれた。

 「なんでこんなことをしてるかと言うと、植物をいっぱい植えたいからなんだよね」。驚くことに、饒波さんは植物を植えるために30年もの歳月を費やしてこの作業を続けているという。

 それなら、「庭でガーデニングをすればいいのでは」と尋ねると「それじゃ、つまんない。最初は、池つくってお花畑みたいな庭にした。でも、飽きたから石を積み始めたんです。立体的につくれば360度植えられるじゃないですか。形も自然のような状態で植物を植えたかったからね」と語る。そもそも30年程前にこの2階建ての自邸を建てたときから、建物の均一な形が気に入らなかったようだ。そこで元々庭があった場所に石を積んでいき、現在のような形につくりあげた。

様々な種類の植物が植栽されて、岩山も自然な雰囲気に加工されている

 「アクアリウムはこの作業と同じようなもんだし、魚はここで飼っている。ほら、尻尾が赤いのがいるでしょ」と指差した先は、淡水の熱帯魚・プラティが泳いでいる。大好きな魚を泳がせるため、饒波さんは岩山の中に池までつくっていたのだ。以前は、この池の水をポンプで汲み上げ滝のように落とす大掛かりな仕掛けもあったようだ。あちこちに池をつくったものの、当時の未熟な技術が今では恥ずかしく感じ、訪問時は池を囲っていた岩山をハンマーで壊して、再度つくり直している最中だった。

 「遠くから見ると構造が分かる」と饒波さんに連れられ、向かいの道路から改めて眺めて見ると、岩山は隣の3階建てアパートと同じ高さになっていた。本来、自宅は2階建てだが、勾配天井になった吹き抜けの上に積み上げたため3階建てのように見えているそうだ。肝心の住宅の住み心地について伺うと、「全く不便さはない」という。下から見上げると窓が塞がっているように見えるが、実際は窓を遮らないように計算しているため、日当たりも良好で圧迫感も全然感じないらしい。

県道側から見ると住宅屋上の勾配部分に石を積み重ねていることがわかる

 「これが沖縄で胡椒に使われるヒハツモドキで、こっちが柑橘、これがブーゲンビリアで、あれがジャポチカバで」と饒波さんは説明してくれたが、植物に関する造詣は相当なものだ。この作業をやり始めてから、独学で植物の知識を習得し、6年前からはその知識を活かしてホームセンターの園芸売り場に勤めている。

 確かにそれぞれの岩のポケット状になった部分には、色々な植物が植栽されており、植木鉢に入った状態のものはこれから植えていくもののようだ。饒波さんによると、建物付近に近づけば近づくほどポケットが深くなっており、最深部は地面まで土砂が入っているため、大きな木でも植えることが出来るが、とにかく土に掛かる費用が大変とのことだった。

「自由自在」というようにポケットはあちこちにある
岩山を抜ける通路内は神秘的な雰囲気だ

 「こっちから見て」と案内された岩山を抜ける狭い通路に入ると、そのポケット状の造形がよく分かった。迷路のような空間の中心では天井から陽の光が差し込み、まるで鍾乳洞の中にいるかのようだ。通路がこんなに狭いのも、植栽部分にスペースを割くためだと話す。

 「あと3年くらい経ったらどうにか見れる状態になる。下の方は緑で埋まって、花が咲いて色も入ります。みんなに盗られないように上の方には果樹も植えるんだけど、てっぺんの方は石を残しますよ」と既に頭の中には完成図が出来ている。

通路の中央部からは光が差し込み荘厳な雰囲気に
岩山を抜ける通路は、人がやっと通れるくらいの狭さ

片手で登って石灰岩を積む

 そんな饒波さんはただ闇雲に石を積んでいるわけではない。「石を積んだら一度下まで降りて形を見ないといけないんですよ。小さな石でも積むのに何度も登ったり降りたりするもんだから、えらい時間かかる。360度囲みたいという気持ちはあったけど、10年くらい経つと、これだけしか進まないんだということが分かってきて、とっくの昔に諦めました」と呟く。

 周囲が庭で囲まれた家だったため、反対側も岩山をつくる予定だったが、隣に建物が建ってしまい今は断念したそうだ。「残りの人生を考えると、理想通りに完成することは不可能なんだよね。釣りやアクアリウムの趣味はいつでも出来るけど、これだけは早く完成させないと体力がなくなっちゃいますから」と饒波さんは、出勤前と休日は全ての時間を制作に費やしている。街灯設備もないため、日が昇る前にモルタルを捏ね、日没まで岩山に登って石を積んでいき、その途中で材料を調達するため山を往復し作業する日々。

隣に建物が建ったため、周囲を取り囲む建築はできない

 お話を伺う中で一番興味深かったのが、こんな壮大な建築を続けている饒波さんだが、実は目立つのが嫌いな人なんだとか。だからこれまでテレビや新聞などの取材もほとんど断っているし、仮にメディアで紹介されても「目立ちたくない」と自身が登場することはない。

 「こういうのをやってると必然的に目立っちゃうでしょ、それが嫌なんです」とあえて車通りの激しい道路側を避けて作業をしてきたと言う話には、思わず笑ってしまった。なるほど、だから県道側は未だ住宅部分が丸見えになっているわけだ。

 そして、このモルタル製造も誰かに教わったわけではない、全てが独学なのだ。「正しいかどうか分からんすよ、自分で適当にやってるので」と道路脇の作業スペースで、モルタルづくりの様子を見せてもらったが、砂とセメントを混ぜ、水を足して捏ねていく様子は、まるで蕎麦打ち職人のようだ。

 十分に捏ねて粘土のような状態になったら、片手で抱えて岩山を登り少しずつくっつけていく。モルタルは乾いたら白っぽくなり石灰岩と同化してしまうのだが、石とモルタルのつなぎ目を「出来るだけ自然にある状態に見えるように」と、饒波さんは水を加えたり筆でラインをつけたりと実に丁寧な仕上げを施していく。

乾いたモルタルと石灰岩の色は分からない

作業中3回落下

 モルタルは固まるのに1日ほどかかるが、沢山くっつけているため未だ固まっていないことが気づかずに崩してしまうことも多い。一番苦労したのは、窓の庇(ひさし)の上に石を積んだことで、オーバーハングの姿勢で大変だったそうだ。そして作業中に落下して命の危険を感じたことは、これまで3回あるという。

 「1回目は、窓の辺りから真っ逆さまに池に落ちたわけ。そんなに深さはないんだけど池だから助かったの。色がおんなじだから、その日に積んだのが分かんないんだよね。モルタルが固まってないのに体重かけて上がろうとしたらパカンと外れて死ぬ思いをしました」。

 「2回目も窓の高さのところから、中に逆さまに落ちた。落ちるときに岩に当たって腕を切ったけど、下が土だったから助かった。3回目は岩を登って石灰岩をとってる時に山で落ちた。それも運良く落下したところが土だったからね。もちろん下にも石灰岩は落ちてるんだけど、薄い石って数が少ないんですよ、重い石は持って登れないからね」と笑う。

たった一人で30年、命がけの建築

 ボルダリングのように岩山に捕まり昇降を繰り返していく作業は、まさに命がけだ。それでも、饒波さんは途中で辞めようと思ったことは一度もない。庭だけではなく、家全体を覆うような建築を続け、しかも人生をかけて挑み続けている饒波さんの原動力とは一体何なんだろうか。

 「楽しくないとやらないですよ。何が楽しいかというと、今日より明日は良くなって完成形に近づいてる、それが楽しいわけ。石を拾いに行くことは辛いけど、積むことは楽しいわけ。人生そんなに長くないから、急がなきゃ。幸いボルタリングで体は自然と鍛えられてるんだけど、体力がなくなってきたら今度は植物の管理ですね」。

 あぁ、そうか。社会的対価ではなく「楽しいから続ける」という、こんな当たり前のことをいつから僕らは忘れてしまったのだろう。様々なしがらみの中で生きている僕らにとっては、そんな当たり前のことが当たり前に出来にくい世の中になっていることも確かだ。

 饒波さんによると、最初の頃は近所から「積むな」と言われ批難されることも多かったそうだ。異質な存在に対して投げかけられる容赦ない排除の声も、饒波さんは30年間続けることで打ち返してきた。まさにみんな感服してしまったのだ。

 惜しむべきは、この30年間の建築の記録が一切ないということ。もちろん饒波さんにそんな余裕はないのだろう。饒波隆さんという「日本のシュヴァル」の素晴らしい功績を伝える一助になればと思って、僕はこの文を記している。また完成を楽しみに。

投稿者プロフィール

櫛野展正(くしののぶまさ)
櫛野展正(くしののぶまさ)
文・撮影
櫛野展正(くしの のぶまさ)
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
住所:広島県福山市花園町2-5-20

クシノテラス http://kushiterra.com

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