その51 あっぱれな裏切り

 父と3か月ぶりに会うことができた。

 緊急事態宣言が解除されたあとも、私たちが暮らす地域では集中対策が継続され、ようやくすべてが解除になったのだ。

 その間にオリンピックもパラリンピックも終わった。残暑が長引いたせいか、季節が変わった実感はあまりなかったけれど、時は黙々と流れてゆく。父がお世話になっている老人ホームから、面会禁止が解かれる知らせを受けたとき、雲のかたちは秋の顔になっていた。

 ちょっと感傷的になった私は、父との感動の再会を妄想していたが・・・そんなものはあっさり裏切ってくれる。それが父だ。3か月ぶりに顔を合わせたとは思えない飄々とした口調で「お、きたか」。そうそう、お父さんはこうでなくっちゃ。

 思えば、父の肩すかしは、これまでにもいろいろあった。私が先回りして心配することを、ときにはひょいとかわし、ときには乗り越えてしまう、いい意味での裏切りだ。

 父と暮らすことになったとき、私は「介護食士」の資格を取った。調理師専門学校が開講している週末の養成講座に通い、筆記と実技の修了試験を受けて認定証を手にしたのだ。

 講座の内容は、高齢者に安全でおいしい食事を提供するための医学的な基礎知識や栄養学、食品衛生学などの座学と調理実習。噛む力や飲み込む力が弱くなった人でも、食べやすい料理の作り方を教わった。実技試験の課題は、だし巻き玉子ときゅうりの蛇腹切りで、ガチガチに緊張したことを今でもよく覚えている。

 この手習いは、87歳で癌の手術をした父の体調を、私なりに推しはかった備えだった。けれど、私が半年かけて学校に通い、介護食について学んだことを父は知らない。なぜなら、父には介護食をつくる必要がなかったからだ。

 なんせ94歳になった今も、歯はぜ〜んぶ自前。入れ歯は1本もない。食欲は旺盛で好き嫌いもなし。出されたものは、なんでもガッツリ食べる。あわてて口いっぱいに頬ばり、むせてしまうことはあるけれど、それは落ち着きのない性格によるものだ。

 というワケで、私のつたない介護食の知識は、今のところ出番なし。なんともあっぱれな父の裏切りだ。
 

 
 父に会いに行った日も、部屋に入るなり「これを食べてみい」とお菓子をどっさり出してくれた。ホームでは毎日、栄養管理の行き届いた三食のほかに、おやつの時間が2回ある。そのうえ、自分の部屋にお菓子の買い置きをしている父の食生活は、とても94歳のそれとは思えない。はっきり言って食べ過ぎだ。

 でも、まあ、父は食べることが大好きなのだから、その楽しみに水を差すことはやめておこうと思っている。

 30分以内に制限された面会時間はあっという間に終わり、「じゃ、またね」と帰ろうとした。「お、またの」という、さらりとした別れを想像していたが、これがまた裏切られた。私の手をしっかり握って「ありがと、ありがとの」と拝むような仕草をしたのだ。おまけにエレベータまで見送ってくれ、扉が閉まるまで笑顔で手をふっていた。

 そうそうそう、このちょっと芝居がかった振る舞いも父らしい。おちゃめな裏切りのおかげで、秋風が吹くなか、ほっこりとした心持ちで家路についたのである。


【次回更新 その52】
2021年12月3週目(12月13日~17日)予定

   

profile


角田雅子(かくだ まさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作会社を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」。
 

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