父の手は、うらやましいほどすべすべだった。
例年よりも短い梅雨が明けたころ。時を同じくして、父がお世話になっているホームの面会制限が一部解除になった。コロナ対策の条件つきではあるけれど、半年近く続いていた全面的な禁止が明け、晴れて父と会えるようになったのだ。
面会の予約が取れた日。父は、私の顔を見るなり手を差し出した。消毒した手で、ちょっと軽めの握手だ。それでも気づいたことがある。冬の間カサカサしていた父の手は、春が過ぎ、夏が来て、ぷっくりすべすべになっていた。
面会できない間もハンドクリームは届けていたが、父が自分でこまめに手入れしているとは思えない。スタッフのみなさんに見守られて、細かいところまでケアしてもらっている。そのことを物語っているような手だった。
そして、手だけでなく、ほっぺたの血色もいい。95歳になった父の顔には、当然のことながらシワがある。ぽつりぽつりとシミもある。でも、なぜかつやつやしている。特別なことはしていないはずだ。朝は水で顔を洗って、たまに化粧水をぴしゃぴしゃっとつける。一緒に暮らしていたときから、肌の手入れらしいことはそれだけだった。
美容関係者の情報によると、健康な肌の細胞は約30日で生まれ変わる『ターンオーバー』を繰り返すという。年齢を重ねるにつれて、この周期は遅くなるようだが、いくつになっても肌には再生するチカラがあるらしい。それにしても、父の見事なターンオーバーっぷりには驚かされた。3食きっちり栄養バランスのいい食事をして、毎日の体操で適度にカラダを動かしていることも、ターンオーバーを促進しているのだろう。運動不足なのについつい食べ過ぎてしまう、私の肌のほうがよっぽどカサついている。
父の顔をじっと見ていたら、お世辞でも何でもなく「ますます若々しくなったね」という言葉が口をついて出た。「ほうか。まだまだ元気じゃ。ここは暑うもないし寒うもない。風邪をひかんのは、そのせいかのう。囲碁やらカラオケやらで退屈もせんわい。個人ではなかなか出来んようなことまで、いろいろやってもろうとる」と父は笑った。
この言葉も、きっとお世辞ではないだろう。もしも私が、このホームを取材して広告を制作するとしたら、「よくぞ言ってくださいました」と手を合わせたくなるような『利用者の声』だ。
コロナという思いがけない壁にはばまれて、顔を合わせることが叶わなかった日々も、父の日常はホームでしっかり守られていた。こうして笑いながら再会できたのも、前例のない状況に最善の対応をしてくださっているスタッフの方々のおかげだ。
シワがあってもシミがあっても、つやつやしている。95歳のターンオーバーは、人間の再生力を見せつけてくれた。私も自分の肌の底力を信じてみよう。そのためには、ホームの暮らしをお手本にして、生活習慣を見直さなくっちゃ、ですね。
【次回更新 その61】
2022年9月3週目(9月12日~16日)予定
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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