父は、言葉を選んで話す。
ステイホームを言い訳にしている私に、面と向かって「太ったのぉ」とは言わない。顔を合わせるたびに「無理せんようにの。好きなもん食べて、好きなだけ寝え」と挨拶がわりの決まり文句。つづけて、笑いながらこう言うのだ。「ま、大丈夫そうじゃの。痩せとらんわい。痩せちゃあいけん」。
このほうがチクリと刺さる気がしないでもないが、「痩せちゃあいけん」というのは父の本音だと思う。戦中戦後の食糧難の時代に育ち盛りだったせいか、父の本能には[満腹→ぽっちゃり=幸せ]という図式が刻み込まれているようだ。そのおかげで、私はまるまると育った。93歳になった父自身も、痩せちゃあおらんお爺さんである。
そんな父との会話は、同じ話の繰り返しが増えてきた。けれど、父はいつも初めて話すような口調で私の反応を見る。私も初めて聞いたような素振りで相槌を打つ。そうすると、ますます機嫌がよくなって、同じ話がまたはじまるのだ。耳が遠いので、こちらの投げかけとは違う方向に話がそれることもあるけれど、父が言葉に詰まることはほとんどない。
そういえば、いつもは流暢に話す父が、言葉に詰まった姿を見たことがある。老人ホームの入居前に受けた認知症のテストで、「知っている野菜の名前をできるだけたくさん言ってください」という質問に手こずったのだ。
引き算をするテストや3つの言葉を覚えるテストなどには、スラスラと答えていた。なのに、野菜の名前が出てこない。なぜだろう。毎日、食卓には出していたつもりだが、肉や魚をがっつり食べる派の父にとって、野菜はどれも同じような飾りに見えていたのだろうか。
前回も紹介した、宮藤官九郎さん脚本のテレビドラマ『俺の家の話』にも、野菜の名前のくだりが出てきた。西田敏行さん演じる父親が、ケアマネジャーから質問されるのだが、なかなか答えられない。こんなはずはないと、うろたえるシーンを見たときに「ああ、お父さんもそうだったそうだった」と思い出した。
娘役の江口のりこさんが、横からいろいろヒントを出そうとする姿にも「わかるわかる、その気持ち」と苦笑い。あの気まずい空気の中では、ついつい助け舟を出したくなるのだ。
そして、「なんで野菜の名前が出てこないんだろう」と肩を落とした父親に対して、息子役の長瀬智也さんがかけた言葉にもシビレた。「別にいいだろ。八百屋じゃないんだから」。
そう。実は私も、うちの父が野菜の名前に苦戦しているのを見たとき、好きなものや得意なことだったらよかったのに・・・と思ったのだ。考え抜かれた質問だと思うし、この質問だけで認知症を診断されるワケではない。それはわかっているつもりだが、それでも父にはちょっと不利な質問だと感じてしまったのは、私が身内だからだろう。
テストを終えた帰り道、父の口から出た言葉は「なんで野菜の名前なんか訊くんかのう」だった。「計算とかはバッチリだったからいいじゃん」「おお、数字を引いていくんは散歩しながら練習しとったんじゃ。認知症予防にええらしいゆうてテレビで・・・」と、父の舌はまた滑らかになっていく。これだけ流暢に話せれば大丈夫だと、このとき私は胸をなでおろした。
がっかりが長続きしないことも、父の特技かもしれないなあ。
【次回更新 その46】
2021年6月3週目(6月14日~18日)予定
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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