父の令和元年は、第四の人生の元年になった。
55歳で定年退職を迎えた父は、母と二人で生まれ故郷に帰る選択をした。これが第二の人生のスタートならば、70代で母に先立たれ、祖母も看取り、家じまいをして私と暮らしはじめたのが第三の人生。そして、父が描いた第四の人生は、90代になったら老人ホームで暮らすというシナリオだった。
父はつねに、自分の生き方の中長期計画を立てている。と言うと、何事にもきっちりした性格だと思われるかもしれないが、決してそんなことはない。おおらかで、ほがらかで、良くも悪くもざっくり。そんな父が、なぜかこれからの人生設計には余念がないのだ。
世間では「終活」と呼ばれていることかもしれない。けれど、父のそれは、もうちょっと前向きな匂いがする。
そのシナリオが動き出したのは、92歳を前にした今年の初夏のこと。いつもデイサービスでお世話になっている、高齢者施設の介護付き有料老人ホームに入居することになった。きっかけは、私の留守中に転倒したことだったが、父の希望通りのホームに入居できる流れになったのは、まさに怪我の功名。今思えば幸運だったのだろう。
5年前、87歳で癌の手術を受けて退院したとき、父の目標は東京オリンピックまで生きることだった。本人は冗談まじりに言っていたが、その目標はどうやらクリアできそうだ。「カープが優勝するまでは死ねんのう」という願いも、リーグ3連覇という、おつりがくるくらいの結果で叶っている。
そして、ホームに入居して半年経ったある日、父の口から出たのは、ゴールを設定しないこれからのシナリオだった。介護と看護を担当してくださるスタッフの方々と、家族を交えたカンファレンスの席で、父は開口一番こう言った。
「おかげさまでますます元気になって、なかなか死なんような気がしますわ。まぁ、いずれは病院に行くことになるんでしょうが、しばらくはお世話になりたいと思うとります。みなさんにようしてもろうて、ありがたいことです」。
自分の人生設計を、さらに延長して語りはじめた父の元気度は、数字にもあらわれていた。
カンファレンスでは、父の日常生活の様子が運動項目と認知項目によって評価され、今後の目標とそれをクリアするためのプランが話し合われる。生活通信簿のようなその評価を見ると、入居した直後のカンファレンスよりも点数がかなり上がっていた。課題だった補聴器のつけ忘れも、ほとんどなくなったようだ。
その結果、コミュニケーションの評価も一段階アップして、みなさんと楽しく交流するために新調した補聴器は、今のところ役目を果たしてくれている。それもこれも、親身になって対応してくださるスタッフの方々と、囲碁や麻雀に付き合ってくださるお仲間のおかげだ。
第四の人生が、これほど前向きな展開になることを、父が想定していたかどうかはわからない。けれど、92歳の通信簿は、これからまだ成績が上がる余地がありそうだ。
令和という新しい時代のはじまりに、人間はいくつになっても更新できることを、父が見せつけてくれたのである。
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
最新の投稿
- 父ときどき爺2024年2月13日その78(最終話)人生の冒険はつづく
- 父ときどき爺2024年1月15日その77 振り返れば笑門来福
- 父ときどき爺2023年12月11日その76 入れ歯知らずの96歳
- 父ときどき爺2023年11月13日その75 ひとりでもアハ体験
コメント