まだ世の中に知られていない表現や作品を発掘する日本唯一のアウトサイダー・キュレーター櫛野展正(くしの・のぶまさ)によるコラム。
クシノテラス(アートスペース)での展覧会やトークライブ、現場訪問ツアーなど全国をかけ巡るなか見つけた今回の表現者は、愛知県に住む村上茂樹・千洋子さんご夫妻。「好きな人の顔」に着目した共同制作のブローチから、素敵な夫婦のあり方が見えてきます。
インスタグラムで発見した「顔」
SNSアプリのインスタグラム(Instagram)が大人気だ。月間アクティブユーザーは2000万人を超え、昨年は「インスタ映え」という言葉がユーキャン新語・流行語大賞を受賞した。SNS上の「いいね」という承認欲求を得るために、多くの若者はインスタ映えするフォトジェニックな場所を亡霊のように探し歩いている。
こんな姿を、一体誰が想像できただろう。でも、モノづくりをしている人にとって、インスタグラムは現在最も気軽に作品を発表できるツールの1つになっていることは間違いない。いままでのように自分の作品をまとめたポートフォリオを準備したりホームページを制作したりする手間なんて必要ない。ただ写真を撮ってアップロードするだけ、実に簡単だ。
日々膨大な数がアップされるそんなタイムラインの海の中をスクロールしていると、現代美術家のダミアン・ハーストやファッションブランド「コムデギャルソン」の創始者、川久保玲など著名人が刺繍された「顔」のブローチに指が止まった。説明を読むと「大好きな人をブローチにしてみよう!」と書かれている。外国人の顔が多く、なかには誰だかわからないものも多いが、市販品ではなく全て投稿者が制作したブローチという点に僕の心は騒ついた。
小学生から針と糸を持つ
投稿者の村上千洋子さんは、愛知県一宮市の高層マンションで夫の茂樹さんと2人で暮らしている。部屋のドアを開けて驚いた。壁や床などが全てDIYでつくりかえられ、室内には鹿の剥製や大きなフィギュアまで飾られている。2人の趣味がたっぷり詰めこまれた空間で、じっくりとお話を伺った。
1961年生まれの千洋子さんは、「3人兄弟の末っ子だったから、いつもお下がりの服を着せられるのが嫌で」と小さい頃から自分の服をよくリメイクしていたという。実家が繊維会社で、いつも身近に端切れがあるという環境は創作には好条件だったわけだ。大学は玉川大学短期大学芸術コースへ進学し、卒業後はインポートブランドのセレクトショップで働いた。その時期に着ていた服は、フランス発祥のブランド「マリテ+フランソワ・ジルボー」で、そのショップ店員だったのが茂樹さんだ。やがて10年ほどの交際期間を経て、茂樹さんが29歳、千洋子さんが33歳の時に結婚。
「彼女は常に何かつくってるんです」。そう茂樹さんが語る通り、千洋子さんは小学生で針と糸を手にしてから、これまでずっと制作を続けてきた。学生時代には友だちに似顔絵を刺繍したポーチをプレゼントしたこともある。ただ裁縫は、小学校の家庭科の授業で習った程度で、本格的に学んだ経験はない。縫い方の参考に本などを眺めることはあるが、見本通りにつくったことは一度もないそうだ。
京都のカフェ「エフィッシュ」には千洋子さん自作のヘビの鍋つかみやウサギ型のクッションが委託販売されているが、どれもキュートで好評を博している。「10年ほど前に実家が廃業したので、余っていた生地をたくさん貰って。だから、採算を度外視してつくれるんです」と現在も仕事の合間にチクチクと制作に明け暮れる日々。そんな千洋子さんが、「顔」のブローチをつくりはじめたのは3年ほど前のこと。
初めての「顔」は、フランク・シナトラ
「シンプルな服が好きで、小物で変化をつけようとブローチを探したんだけど好みのものがなかった。じゃあ自分でつくろうと制作を始めたのがきっかけ」と教えてくれた。最初につくったのは、アメリカの代表的なジャズ・ポピュラー歌手、フランク・シナトラ。1日ほどで完成したが、付けて歩いても誰にも気づかれることはなかった。
「もう1個欲しいなと思って、次に画家のバスキアをつくりました。試しにインスタに載せて見たんだけど、何の反応もなくって。しばらくしたら『いいね』の通知が来て、そこから俄然やる気なりましたね」と笑う。
次第にサイズも大きくなり、肌の質感さえも刺繍で表現するようになった。現在の大きさの方が刺繍のごまかしが効かないから難しいそうだ。「もともとアートが好きだから写真集はいっぱいあるんですよ。でも、私もそんなに知らないから、『次は誰をつくったらいいかな』と旦那に相談しているうちに『次、この人どう』と徐々に彼が介入してきたんです」と話す。
3人兄弟の長男として名古屋の大須で生まれた茂樹さんは、ハワイアンバンドやジャズバンドをやっていた叔父の影響で、幼少期から音楽に親しんできた。学生時代からギター演奏や写真、絵画鑑賞などアート全般に精通し、高校卒業後は知人の紹介でアパレル店員として働いた。ローラースケートをしながら音楽を楽しむ「ローラーディスコ」でDJをしたり専門学校や大学で音楽講師として働いたりする傍ら、ずっと音楽制作やイベントでDJなどを続けてきた。
ブローチのモデルには、詩人や画家、写真家、歌舞伎役者、囲碁棋士など、茂樹さんの趣味が多分に反映されている。「他人がつくったものを見ると自分でも学びたくなるんですよね。凡人なんで勉強したいじゃないですか」とその勤勉さには敬服してしまう。それでも「本当の趣味は釣りですよ」と言うから実に多趣味な人なのだ。
「ブローチ映え」しそうな顔を選ぶ
現在はブローチ制作の際に、茂樹さんから数名の提案があり、そのなかから「ブローチ映え」しそうな顔を選ぶんだとか。人物が決まったら、次は図案を描く作業だ。「自分で想像してつくることは苦手だけど、模写は得意なんです」と言う千洋子さんだが、人物の特徴を捉えているだけでなく皺の本数など刺繍できるレベルにまで簡略化していることが分かる。この辺りのさじ加減は実際に刺繍を施しているからこそ分かる感覚なのかもしれない。図案ができたら、それを元に茂樹さんがシルクスクリーンで版をつくる。10人分くらい一気につくったところで、いよいよ刺繍作業だ。
まず、黒糸で輪郭や目や口などを縫ってから塗り絵の様に内側を縫いこんでいく。「綿の入れ方で顔が変わってくるから」と人物に合わせて綿を抜いたり潰したりしていく様は見事としか言いようがない。そして、この人物選定には、「ブローチ映え」以外にもこだわっている点がある。
それは、インスタグラムにアップする登場順だ。「キング牧師をやったのもガンジーを登場させたいからなんですよ。いきなりガンジーを出すとバックボーンが見えてこないじゃないですか。だからキース・へリングやバスキアをやってるのも、いつかアンディ・ウォーホールを出すための伏線なんですよ」と茂樹さんは熱弁する。自己満足に終始しないよう、いかに見ている人たちをワクワクさせるかに重点を置いているわけだ。
さらに当初は、眼鏡やアクセサリーなどの装飾品も千洋子さんが自ら刺繍で表現していたが、画家のジョージア・オキーフのブローチから茂樹さんが装飾品の制作に加わった。「プローチの上にブローチを付けたら面白れぇんじゃねぇかと思って」とアクリル板を歯科用のグラインダーで削って眼鏡をつくったり作曲家のムーンドッグが被っているバイキング装束の角に至っては水牛の角を削り込んで表現したりと、その器用さには驚いてしまう。さらに完成したブローチは、人物写真や作品の背景を合成してから投稿するというこだわり様だ。
そんな2人の共同作業に反応する人も多い。特に海外の人からコメントが届くことも多いようだ。「歌舞伎役者の中村富十郎をつくったときに、お孫さんから『あまりにも似てて嬉しかったから』とコメントをいただいた時は夫婦で喜びましたね。あと、大雪で家の中に閉じ込められた状態の人から、『すごく大変な状況だけど、くすっとなって楽しい気持ちになった』というコメントが来たときは、やっててよかったと思いましたよ」と教えてくれた。
夫婦の価値観が表れる作品
千洋子さんの何気ない試みから始まったブローチづくりが、色々な人を巻き込んで大きなうねりを起こしているのは何とも面白い。「いまはブローチとしては使ってません。沢山つくっていくうちに勿体無いなと思っちゃって、落とすのも怖いじゃないですか。いま、再制作している最中で、前のものは必要ないから旦那さんにあげてるんです」と話す。
千洋子さんによると、量産していくうちに以前の作品が気に入らなくなり、つくり直しているのだとか。「目が死んでるじゃないですか」と説明してくれたが、僕には正直その違いさえわからない。好きな人ばかりなので、きちんとつくり直したいようだ。当初はキリのいいところで100人を目指していたが、煩悩の数くらいはつくりたいとのことだ。そして、そうしたブローチの展示会も現在準備中だ。
「うちは子どもいないんで、その代わりに自分の足跡を残したいのもあるんでしょうね。でも、いいなと思ったことが反映されたり、それについて話ができたりするから、こういうのを彼女がつくるようになって嬉しいですよ」と茂樹さんはつぶやく。いまやブローチ制作は、2人にとって価値観を共有するための大切なツールになっている。
そして「これまですれ違いの生活で、そろそろ夫婦一緒にいたいから」と現在2人で店舗経営を画策している。「僕は彼女いないと生きていけないし、一緒にいたいから」と初対面の僕に恥ずかしげもなく話してくれる茂樹さん。あぁ、なんて素敵な夫婦の在り方なんだろう。好きなことを好きなようにやるために、夫婦で手を取り合って道を切り開いていく、そんな生活スタイルに僕はすっかり魅了されてしまったのだ。
投稿者プロフィール
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文・撮影
櫛野展正(くしの のぶまさ)
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
住所:広島県福山市花園町2-5-20
クシノテラス http://kushiterra.com
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