父は、新しい年を病院で迎えることになった。コロナのせいではなく、コケてしまったからだ。
師走のある朝、父がお世話になっている老人ホームから電話がかかってきた。父がトイレに行こうとしてベッドの布団に足をひっかけ、転倒したという連絡だった。どうやら足を痛めたようだ。
ホームのスタッフの方が、系列病院に行く手配をしてくださっているなか、当の本人は、介助してもらいながら朝食をほぼ完食したらしい。それを聞いて、少しほっとした。さすが、どんなときでも「食べんとはじまらん」父らしい。
電話を代わってもらったが、耳の遠い父に私の声は届かない。父は、いつものように一方的にしゃべりはじめた。「おお、大丈夫じゃ。また顔を見せに来てくれ」と、何ごともなかったような口調だ。
会いに行きたいのはやまやまだが、コロナ対策でホームは面会禁止中。しかも、自治体が感染拡大防止の集中対策期間に突入した直後で、ホームも病院も面会が一段と厳しくなっていた。そこで、病院へはホームの看護師さんが同行してくださり、状況を連絡してもらうことになった。
父は、これまでにも何度か転倒したことはあったが、打撲か捻挫くらいで大事には至らなかった。不死身なのではないかと、半分本気で思ったこともある。今回も骨折だけはしていませんように・・・そう願いながら電話を待った。
診断結果は、大腿骨頸部骨折。あー、父もやっぱり生身の人間だった。
手術をしないと歩けなくなるそうで、お医者さんから詳しい説明を聞くため、入院に必要な最低限のものを持って病院に向かった。年末年始にはホームから帰宅できることになっていたので、父の新しい下着や洗面用具は買い揃えていたのだ。入院のために使うことになるとは思ってもいなかったが、2020年は想定外のことだらけ。最後まで一筋縄ではいかないようだ。
ホームは11月の終わりから面会禁止になっていたが、条件付きで自宅での年越しが許されていた。帰宅する家が県内であること。県外からの帰省者と顔を合わせないこと。スーパーやデパートなどに立ち寄らないこと。
うん。大丈夫。あとは私自身の体調を万全にしておくだけ。と、いつも以上にコロナ対策に気を配り、父を迎える準備をしていた。父も、久しぶりの帰宅を楽しみにしていたのに、なんともトホホな展開になったものだ。
お医者さんから告げられたのは、高齢者によくある骨折で手術自体は30分程度で済むけれど、リハビリも含め1カ月以上は入院が必要だということ。この時点で、父は病院での年越しが決まってしまった。
病院のコロナ対策は徹底していて、この日、父に会うことは叶わず、手術の当日も立ち会うことができなかった。家族であっても、病院への立ち入りを控えるのは仕方がない。
おかげさまで手術は無事に終わり、父はリハビリを頑張っているようだ。93歳の父が、また一人で歩けるようになるかどうか。そのことはもちろん心配だが、もう一つ心配ごとがある。高齢者の場合、入院がきっかけで認知機能が低下したという話をよく聞く。面会できないことが、拍車をかけるのではないかと不安なのだ。
そこで、ささやかなボケ防止作戦を考えてみた。まず、家族の顔と名前を忘れないよう、写真と手紙を渡してもらった。次に届けたのは、宛名面にわが家の住所を書いた白紙のハガキを数枚とボールペン。耳が遠い父と電話で会話をするのは難しいので、文通ならできるのではないかと思ったのだ。
この原稿を書いている師走の今現在、父からの返信はまだない。新しい年には、2020年の厄をすっかり落として快復した父と、笑って会えることを楽しみにしている。
【次回更新 その42】
2021年2月3週目(2月15日~19日)予定
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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