その56 生きますからよろしく

 父と母の結婚写真が、わが家の本棚に飾ってある。披露宴をした旅館の座敷で撮られた、モノクロームの集合写真だ。

 それを飾ったのは私だが、父は写真立てを手にして親族を一人ひとり指差しながら、いつもこう言う。「はあもう、みなおらんのう。生きとるんは、わしだけじゃ」。年末年始に帰宅したときも、毎日この写真を見て、毎回同じことを言っていた。

 緊張した面持ちの父の横で花嫁衣装に身を包み、ほほ笑んでいる母は68歳でこの世を旅立った。生きていれば91歳。今年95歳になる父と連れ添って、どんな老後を過ごしたのだろうか。

 いつだったか、父がぽつりと「わしより先に逝くとは思わんかったのう」とつぶやいたのを聞いたことがある。そのとき、私まで先を越してはいけないと、ちょっとした使命感のようなものを覚えた。何はともあれ自分が生きていることが、親孝行のまねごとになると思ったのだ。


 父がお世話になっている老人ホームは、年明けのまん延防止等重点措置が解除されてからも、面会禁止が続いている。父と会えない日々のなか、本棚の写真を見ながらふっと、ある映画を思い出した。2018年に公開された『ぼけますから、よろしくお願いします。』という映画だ。

 広島県呉市で暮らす両親の日常を、東京でテレビ番組制作の仕事をしている娘が撮り続けたドキュメンタリーである。料理も裁縫も上手で明るく社交的な母親が、87歳で認知症と診断され、長年「男子厨房に入らず」だった父親は、95歳で家事を始めた。そんな二人の日々を、娘はカメラのファインダーを通して見守りながら、涙も、笑いも、戸惑いも、包み隠すことなく映していた。

 『ぼけますから、よろしくお願いします。』という映画のタイトルは、認知症になった母親が、新年を迎えて嬉しそうに万歳をしたあと、娘にかけた言葉だ。「あけましておめでとう。ぼけますから、よろしくお願いします。」

 この映画の続編が公開されることを知って、私は4年前に映画館で観た一作目をオンライン配信でもう一度観た。耳の遠い父親が、新聞をめくりながら大きな声で鼻歌を歌っている。その姿は、うちの父とそっくりだ。ユーモアのある話しぶりやチャーミングな笑顔も、どことなく重なる。ただ、大きく違っているのは、料理も裁縫も上手で明るく社交的だった連れ合いが、うちの父にはもういないということだ。

 こればかりは、どうしようもない。母のいない暮らしを、父がことさら嘆くこともない。少なくとも娘である私の前では。けれど、映画の中の夫婦は、老老介護の問題に直面しながらも、一緒にごはんを食べて「おいしい」と笑っている。それは、うちの父と母にもあったかもしれない暮らしの一場面だ。4年前に観たときよりも涙がこぼれたのは、ささやかな幸せが伝わってくる場面ばかりだった。

 私がこの原稿を書いている一週間後には、続編の『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜』が公開される。新型コロナが二人の暮らしに及ぼした影響も映し出されているらしい。観に行こう。うちの父にはまだ会えないけれど、父よりちょっと先輩の愛にあふれた笑顔には、スクリーンで会えると思うから。

 父と私は今、それぞれの場所で元気に生きている。今年のお正月には「百歳まで生きる」と言ってくれたお父さん、これからもどうぞよろしくお願いしますね。

【次回更新 その57】
2022年5月3週目(5月16日~20日)予定

   

profile


角田雅子(かくだ まさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作会社を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」。
 

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