父は、たまった耳あかをごっそり取って、新年を迎えた。
年末の恒例だった年賀状を書くことをやめた父には、これといった年越しの準備はない。老人ホームに入居することを決めたとき、自分で身の回りのモノをばっさり捨てたので、片付けは済んでいる。
それはもう、惚れぼれするほどの捨てっぷりだった。「残しとったら、あとで捨てるんが大変じゃあ」という私への気づかいと、もともとモノに対する執着がない性格が相まった断捨離だ。
その姿を見て「私も」と腕まくりをしてみたものの、まだまだ未練のあるモノばかり。父と私では人生経験が違い過ぎるので、真似をするのは30年早い!ということだろう。
こうして身軽なホーム生活をはじめた父が、師走のある日、補聴器をはずしながら「正月までにやっときたいことがあるんじゃが」と切り出した。「補聴器の調整?」「いや、耳鼻科で耳あかを取ってもらおうと思うて」。
私がうっかりしていた。ホームに入居してからは、父の耳あかまで気が回らなかったのだ。けっこうたまっていたので、耳鼻科で取ってもらったほうがいいと、スタッフの方に言われたらしい。
図らずも、父にとって年用意のメインイベントになった耳鼻科での耳掃除。時間にするとほんの5分くらいのイベントだったが、「よう聴こえるようになったわぁ。これですっきり正月が迎えられる」とご満悦だった。
毎年、律儀に年賀状を書いていた父が、「そろそろ失礼してもええじゃろ」と言い出したのは、90歳になった一昨年のことだ。そのかわり、年賀状をいただいた方には、年が明けてから寒中見舞いを出すことにして、徐々に枚数を減らしていく作戦らしい。
その作戦を決行した最初の年。父は自分で考えた挨拶文をハガキの大きさの紙に書いて、ご近所の印刷屋さんに持って行った。私がパソコンで打ち直して、家のプリンタでも印刷できることを伝えたが、「年賀状のかわりじゃけぇ、正式に印刷してもらおう」と譲らなかった。
数日後、刷り上がった寒中見舞いを受け取りに意気揚々と出かけた父は、苦笑いをしながら帰って来た。
「こんなんが出来とったわぁ〜」と見せてくれたハガキには、父が書いた文字がそのまま印刷されていた。「正式に印刷してもらうつもりじゃったんじゃが、まぁ仕方ない」と、あきらめたように笑っている。父の思う「正式」とは、活字できっちり印刷することだったが、どうやら思いがうまく伝わらなかったようだ。
耳が遠い父は、相手の話がよく聴こえていなくても、雰囲気で返事をしてしまうことがある。印刷屋さんでは、直筆のまま印刷するか、打ち直して印刷するか、申し込む段階で確認されたに違いない。そのとき、父の頭の中には、自分の書いた文字がそのまま印刷されるというイメージは全くなくて、訊かれたことがピンと来なかったのだろう。
けれど、怪我の功名、瓢箪から駒。出来上がったハガキを見たとき、温かみがあってとてもいいと私は思った。定型文ではなく近況を綴った寒中見舞いだったので、味のある直筆のほうがよっぽど父らしい。
「お父さん、いいよいいよ、このハガキ」「ほうかぁ?」「うん。お父さんの字を見て、元気にしとってんじゃね〜と思ってもらえるよ」「ほうか。じゃあ、宛名もなるべくええ字で書こうかの」と気を取り直した。もしかしたら父自身、まんざらでもないと思いはじめていたのかもしれない。
こうして第1回の寒中見舞い作戦は、結果オーライとなった。
耳掃除ですっきり年用意をして2020年を迎えた父は、今年も寒中見舞いの文案づくりという初仕事を楽しんでいる。
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
最新の投稿
- 父ときどき爺2024年2月13日その78(最終話)人生の冒険はつづく
- 父ときどき爺2024年1月15日その77 振り返れば笑門来福
- 父ときどき爺2023年12月11日その76 入れ歯知らずの96歳
- 父ときどき爺2023年11月13日その75 ひとりでもアハ体験
コメント