#9 ハローマイハウス

アウトサイドからこんにちは!
埼玉県戸田市 大谷和夫

ピンクの家と色黒の男

埼玉県南東部に位置する戸田市。最寄り駅から5分ほど歩いた閑静な住宅街に派手な装飾と独特の色使いが目を引く家がある。ピンクとブルーを基調としたその外観は、海のない埼玉県に現れた「海の家」のようだ。

 「親孝行通り」「海岸通り」などの看板が掲げられた外壁には、ひょっとこのお面をはじめ、鏡や玩具、著名人の写真など多種多様の品が飾られている。なかには、どこかで見た大統領の顔写真もあるが、誰なのかすぐに思い出すことはできない。その奇抜さに思わずカメラを向けていると、駐車場に座っている色黒の男性が話しかけてきた。

 「リトルウェイト。これは、南アフリカの元大統領だったジェイコブ・ズマだよ。似てるだろ。上の娘が、俺と似てるからって、印刷して持ってきてくれたの。うちの娘が言うんだから間違いないよ、だから、これをアートにしてんだよ」

 ニタっと笑みを浮かべるその男性こそ、家主で作者の大谷和夫(おおたに・かずお)さんだ。「プライベートビーチ」と名付けた駐車場で、椅子に座り日光浴をしている最中だと言う。

 「俺の名前は、大谷和夫って言うんだけど、有名なんですよ。『大谷』ってのはメジャーリーガーの大谷翔平、『和夫』ってのはカズオ・イシグロがノーベル賞を獲っただろ。リアリィ? だから、名前だけはあわせて数億の価値がある男なんだよ」

 これまでたくさんの方のお話をお伺いしてきた僕だが、「これは苦戦しそうだ」と瞬時に感じとった。一握の砂のように、彼のユーモアが僕の質問をすり抜けていく。

お金をかけずに自宅を修繕

 昭和23年に千葉県で2人兄弟の長男として生まれた大谷さんは、8ヶ月で埼玉県戸田市に転居した。高校を卒業したあと、音楽教師になることを目指し大学受験を試みるも失敗。浪人しながらピアノを習い勉強を続けたが、途中で挫折してしまう。3年ほど、アルバイト生活を続け、22歳ごろ、結婚を機に「自分で商売なんて出来ないから、大きな会社に入れば将来は安定するだろう」と大手出版社の営業職に勤務。61歳のとき、最愛の妻が他界したことをきっかけに退職した。

 この二軒長屋の家は戦前に建てられたもので、20年ほど前に亡き妻の親から建て替えを提案された際、改修費などを考慮した結果、自分のやり方で修繕することに決めた。若い頃、「陸サーファー」として海に親しんできた大谷さんは、海をイメージしたロイヤルブルーで屋根を塗装。壁などのピンク色は、昔テレビで観たイタリアの街をヒントにした。大谷さんの英単語を多用したユニークな語り口は、欧米への憧れの思いからだ。ちなみに英語は話せない。「だから黒く日焼けしてるんだよ。夏は、お金があれば江ノ島へ行くこともあるね。エロ島じゃないよ」と笑う。

 家を囲う塀に展示されている品の多くは、廃品だ。ほとんどが拾ってきたり貰ってきたりした物で、いかにお金を掛けないで工夫するかと言う点に力を注いでいる。よく見ると、大谷さんが着ていたボアのブルゾンは、首元の汚れを隠すために蛍光色で着色しているし、両腕につけた指輪やバングルも自ら細工したものだ。

 「もともとアートに興味はあったんだけどさ、やり始めるとだんだん欲が出てくるんだよな」
そう話す大谷さんの朝は早い。18時には就寝し、深夜2時ごろには起床する。起きたら、ラジオを付けて気になる言葉があったらメモを取る。飾られている詩や格言は自作では無いが、自分のアンテナに反応したものを書き留めて貼っているんだそう。

 「完成形はなくて、毎日何か変えるようにしてるからさ、忙しくて認知症になる暇ねぇんだよ。でも、この家は震災のときだって倒れなかったんだから」
東日本大震災のときに、絆の大切さを感じた大谷さんは、震災後から孫の写真を外壁に貼り始めた。残念ながら中を拝見することができなかったが、室内には、大好きな2人の孫の写真がびっしりと100枚以上も貼ってあるそうだ。こちらに微笑みかける子供たちの写真は少し色褪せている。いまはすっかり大きくなっているようだ。

 「2人の娘が思春期のころ、恥ずかしがっちゃってさ。人がいないのを見計らって帰宅してたみたいだね。いまは2人ともデザイン関係の仕事で働いているから、仕事で不要になったマネキンとかを持ってきてくれるようになったわけ。人間ってのは慣れてくるんだよね」

家はアイデンティティー

 これまで「お化け屋敷」と揶揄されたこともあるし、強風時には、設置しているものが飛ばされることも多いそうだ。いろんな意味で風当たりの強い大谷さんの家だが、途中で辞めようと思ったことは一度もないと言う。

 「この家は俺のアイデンティティーなんだよな。今後は、地方の活性化というか若いアーティストが見て感化してくれればさ。若い人のために試金石になればと思ってね。世の中いろんな人がいるけど、こういう人もいるんだと思ってくれたらさいいんだよ」

 一瞬、大谷さんの表情が変わったのが僕にはわかった。きっと心からの願いなんだろう。考えてみれば、僕らは「なぜ? どうして? なんために?」と物事の理由を考えすぎているのかもしれない。

 大谷さんは、道ゆく人たちと軽快に挨拶を交わす。「また馬鹿なことやってんのね」と別の誰かが自転車のベルを鳴らして通り過ぎていく。この家は、大谷さんからの「挨拶」なのだ。僕らはそれに対して理由を尋ねるのではなく、なにか感じ取って挨拶という「表現」で返さなければならない。

投稿者プロフィール

櫛野展正(くしののぶまさ)
櫛野展正(くしののぶまさ)
文・撮影
櫛野展正(くしの のぶまさ)
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
住所:広島県福山市花園町2-5-20

クシノテラス http://kushiterra.com

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