父が、なにげなく私に言った「手がぬくいのう」という言葉がきっかけだった。
コロナ禍で禁止されていた父との面会が、15分間という制限付きで解禁され、消毒した手で握手をした時のこと。私の右手を自分の両手で包むようにして、「手がぬくいのう。ちょうどええ温度じゃ」と言ってくれたのだ。
高齢者施設のロビーに設けられた面会場所で、短い時間でも私にできることがあるとしたら、これかもしれない。以前から興味のあった、タッチングのことを思い出した。タッチングとは、患者さんやお年寄りの肌にやさしく触れたり、さすったりすることで心身をリラックスさせる、いわば「手当て」のことである。
どうやら私の手の温度は、タッチングに向いているらしい。父の言葉に背中を押され、まずはハンドケアの知識と技を身につけようと、介護アロマハンドケアセラピストの講座を受けることにした。介護の分野では、アロマセラピー(芳香療法)を取り入れたタッチングのことを、介護アロマと呼ぶそうだ。
講座は、アロマセラピーのメカニズムや高齢者の体の変化、タッチング論などの座学からはじまり、実技では2種類の精油をブレンドしたアロマオイルをつくって、トリートメントの手技を学んだ。
やさしく教えてくださった先生は、訪問介護アロマのスペシャリスト。受講生は介護士さんや看護師さんが多かった。私の受講動機は「父との15分間の面会のため」という個人的なものだったけれど、介護や医療の現場のみなさんは忙しいなか、より良いケアをめざしてくださっている。講座を通してそのことを知り、胸が熱くなった。

介護アロマハンドケアセラピストの修了証書を手にして、いよいよ父にハンドケアを試みる日がやって来た。もちろん、父は何も知らない。どんな反応をしてくれるだろうか。
講座で教わった通り、腕まくりをしてトリートメントをはじめると、父は私の手もとを見ながら「若いけえシワがないのう。わしの手はシワくちゃじゃが」と言った。「そんなことないない。お父さんこそ、やわらかい手で若々しいよ」
父と娘が手と手を取り合って、ほめほめ合戦である。
「まあ、わしは力仕事も水仕事もしとらんからの。働いとらん手じゃ」と、照れたように笑う父の舌も滑らかになってきた。本当のところは、私の手にはどう見てもシワがある。95歳の父の手もそれなりにカサついていたが、トリートメントを終えるころにはふっくらしていた。
そして、私の手にも心なしかつやが出た。ハンドケアは、受ける側だけでなく、施術する側にも同じような効果をもたらしてくれるようだ。
「目から涙は出とらんが、心の中ではうれしゅうて泣いとる。ありがたいありがたい」と、父はちょっと芝居がかった口調で手を合わせた。くすぐったいけれど、うれしくて泣きそうなのは、その言葉をもらった私のほうだ。
はじめてのハンドケア。父と娘のほめほめ合戦は、年季の入ったほめ上手な父の圧勝に終わったのである。

【次回更新 その66】
2023年2月3週目(2月13日~17日)予定
投稿者プロフィール

- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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