まだ世の中に知られていない表現や作品を発掘する日本唯一のアウトサイダー・キュレーター櫛野展正(くしの・のぶまさ)によるコラム。話題の新刊「アウトサイド・ジャパン」には、このコンテンツに登場した表現者も掲載されています。
今回は広大な敷地に巨大な生物が点在する物語のような世界を訪れ、作者である一戸清一さんを取材しました。
恐山からガリバーの国へ
「人は死ねばお山さ行ぐ」
古くからそう言い伝えられ、信仰の対象となってきた日本三大霊場のひとつ、恐山。岩場からは鼻をつくような硫黄泉が噴出し、まさに<地獄>のような光景が広がっているが、奥に進めば「極楽浜」と呼ばれる美しいカルデラ湖の神秘的な景色がこころを清めてくれるかのようだ。
恐山から青森県むつ市内へ抜ける曲がりくねった山道沿いに、今回の目的地はある。車を止めて広大な敷地を眺めると、ログハウスには大きなカブトムシやトンボのオブジェが留まっているし、よく見ると辺り一面にはムササビやバッタなど巨大な生き物のオブジェが点在している。その規格外の大きさは、まるで『ガリバー旅行記』の第二篇で描かれた巨人の国・ブロブディンナグ国に迷い込んでしまったかのようだ。
「ここは40歳の頃に購入してな。13,000坪くらいあるかなぁ」
そう声をかけて来たのが、こうした作品群の作者・一戸清一(いちのへ・せいいち)さんだ。むつ市内に暮らす一戸さんは毎日のように、この別荘までやって来て誰に見せるわけでもなく作品制作を続けている。「立ち入り禁止」の大きな手書き看板が掲げられていることからも分かる通り、一戸さんはこれまであらゆる取材を断ってきたが、今回初めてお話を聞かせていただけることになった。
60歳から巨大な生き物を再現
1939年に神奈川県横浜市で4人きょうだいの長男として生まれた一戸さんは、現在79歳。父親は横浜市内で酒屋を経営していたが、戦争の足音が聞こえてくると海軍に出兵。戦後になって父親は、生まれ故郷である津軽半島中南部に位置する青森県五所川原市へ家族を連れて転居した。一戸さんが4歳か5歳のときのことだ。
「親父は国鉄で働いたり北海道で網元の帳場(※漁業関係の経理)をやったりしとったけど、俺が10歳のときに自分の家内の兄貴を頼って、家族を連れ青森県むつ市へ永住したのよ。結局、体を悪くして49歳で他界したけどな」
そう話す一戸さんは小さいころ、ものづくりにほとんど興味を示すことはなかった。「田舎に来て貧乏してさぁ、遊び道具もほとんど無かったなぁ。かけっこしてたくらいだ」と当時を振り返る。中学卒業後は、「親が困ってるから、少しでも助けになるように床屋でもやれよ」という住職だった叔父の勧めで、理容科のある高校へ進学。1年で技術を習得したあとは、3年ほどインターンとして市内の床屋に住み込みで修行を続けた。
そして19歳で、むつ市内に「一戸理容所」を独立開業する。25歳のときには2歳年下の妻・ツヤさんと結婚し2人の子どもを授かった。ツヤさんも通信教育で理容師免許を取得し、夫婦で床屋を切り盛りするようになったが、一戸さんが55歳のとき、東京で10年ほど修行をしていた長男が帰郷してきたため、店名も「一戸理容店」に改名し長男に経営を一任した。
「ほんとうは(理容師の仕事が)好きでなかったから早めに隠居したのよ」と笑う一戸さんにとって、室内にこもる理容師の仕事は嫌で堪らなかったそうだ。
山が好きだった一戸さんは、40歳で購入したこの土地を活用して50歳から人を雇ってドライブイン「やまびこ」の経営を始めた。現在も残っているログハウスでは、1階が食堂、2階を従業員専用の宿舎とし、園内につくられた300メートルの道路にはゴーカートを走らせ、子どもたちが遊ぶことができるようにアスレチック場も整備した。だから園内には、いまでも作業場や倉庫として再利用されているバンガローが点在しているわけだ。
バブル景気とも重なって、ドライブインは繁盛し、最盛期にはスタッフを10人も雇用していたという。その結果、10年で借金を完済することができたため、一戸さんが60歳のときにドライブインを閉業した。
それからつくりだしたのが、こうした作品群というわけだ。最初は既存のキャラクターを模倣してつくっていたが、「キャラクターってのは、誰でもつくれっから」と次第に動物や生き物の制作に移行。材料となるブイや廃材の多くは、近くの陸奥湾に流れ着いたものを活用した。壊れたものもあるが、これまで制作した作品は約50点にのぼる。
僕はこれまで取材を続けるなかで、漁業の盛んな土地などに行くと漂流したブイを使って制作されたキャラクター人形を目にする機会はあったが、動物や生き物などここまで再現性の高い作品を目にしたことはない。そしてパンダの親子など、どこかストーリー性のある作品も多いのも特徴だ。
「一匹よりも親子でつくった方がユーモアもあるしさ。俺自身が愛情に飢えてんだべ」と笑う。ログハウスの入り口に設置された蝶を捕食する蜘蛛のオブジェに目をやると、頭と胴はブイ、脚は水道用ビニルパイプ、目玉はビー玉や自転車のベルなど様々な廃材が使われている。図鑑を購入し、その造形を徹底的に研究しているようだが、もちろん設計図などは一切書かないし全てが独学なのだ。
自己満足レベルを超えた作品
「冬場は雪が多いから、出してるもんを1ヶ月ほどかけて全部仕舞って、雪かきしてな。その合間につくってんだ。しかも朝から晩つくってるわけでねぇから、1個つくるのに15日くらいかかるな。夏の間は、周りの草を整備したり、花やきのこ、なめこ、椎茸も栽培しているから年中暇なしだわ。いまは駐車場管理の仕事もしてるしな」
奥さんの話によれば、一戸さんはドライブインを終えて、1ヶ月もしないうちに、別の場所に土地を購入し駐車場経営を始めたそうだ。普通であれば、脚立にのぼるのも怖くなってしまうような年齢だが、一戸さんは梯子をかけて7メートルはあろうかというログハウスの屋根のペンキ塗りもひとりでこなしてしまう。老いてもなお旺盛なその行動力に、脱帽してしまう。現在は、月曜と木曜日は奥さんもやってきて夫婦で一緒に過ごしているが、ときどき見るにみかねて、「ちょっと違うんでない」と奥さんが色塗りを手伝うこともあるそうだ。
「つくるのは好きなんだけど、色音痴だから色を塗るのがどうも苦手でな」と笑みをこぼす。
一戸さんに園内の作品を一通り案内してもらったが、茂みの中だったり木の上だったりと思わず驚いてしまうような場所に設置された作品が多く、それを探し出すだけでも童心に返ったような楽しさがある。ただ、以前に来訪者が勝手に畑に入ってカボチャや園内の親子のてんとう虫のオブジェを盗まれそうになった経験から、この場所を無料で開放をする気はないそうだ。「無料開放すると道徳心が守られねぇからな。だからって、お金をとってやるのは抵抗があるんだよなぁ」と頭を悩ませる。
それにしても、人通りの多い街中で、他者からの賞賛を受けながら作品制作をしているのであれば、その動機は理解できる。しかし、いくら有名観光地の恐山が近くにあるとはいえ、ここは人里離れた山の中だ。ましてや進入禁止の立て看板まで掲げていることを考えれば、なぜこれほどまでに巨大な作品制作に一戸さんは余生をかけて挑んでいるのだろうか。
「年取ったら何か趣味を持たねば駄目だと思うんだ。俺がやってんのは、ボケ防止や自己満足のためだな。趣味は自分の部屋でも出来るかも知れねぇんだけど、大きいほうがつくりやすいし、見栄えがいいんだなぁ。何より、人がやってないことのほうが面白いべ。自分で納得してぇからさ」
そう謙遜する一戸さんだが、ひょっとすると彼が長年従事していた床屋の仕事にも関係しているのではないかと僕は分析する。全国各地で取材を続けていると、理美容師による表現者が実に多い。それは「手先が器用だから」と言う安直な理由ではなく、その特質は、頭に描いたものを形にするという空間認知能力の高さにある。常人では具現化することを諦めてしまうレベルの手業であっても、一戸さんは簡単に再現することが出来てしまう。きっと、そういう人のことを「芸術家」と呼ぶのだろう。
【Photo Gallery】
投稿者プロフィール
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文・撮影
櫛野展正(くしの のぶまさ)
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
住所:広島県福山市花園町2-5-20
クシノテラス http://kushiterra.com
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