「80歳の壁」と高齢者の本音
仕事柄、高齢女性の集まりに講師として招かれることが多い。ひとまとまり話をした後、グループ別におしゃべりをする。『80歳の壁』が2022年度のベストセラーというが、70代前半の人が多いグループと80前後が多いグループでは、盛りあがる話に確かに大きな違いがある。
70代前半までのグループでは趣味や旅行など娯楽に関すること、孫育て支援に関すること、断捨離や墓じまいの情報交換、等々。自分の老いや衰えを認める発言は少ない。
「いまが人生で一番いい時期」「子どもの世話にはならない。世話されるのは子どもの方」「倒れた時のことなんて、まだまだ先」「人生楽しまなきゃ」、そんな発言もあり現役感満載。運転免許証返上にもまだ間があり、交友関係も広域に及ぶようだ。
しかし、80歳前後の人が多い集まりになると大きく変化する。頻回に出るのは物忘れ、足腰の弱り、体のあちこちの痛みなど健康に関するもの。「これから自宅に住み続けるか、施設に入所した方がよいか」は大きな関心事だ。特に同居や近居の子ども、(息子より娘)がその件にどう反応をするかの話題は、みんなが身を乗り出し、話は熱を帯びる。
ある日の会話をあげよう。Kさんがした85歳の姉の話に触発され、なされたものだ。
Kさん
「わたしの姉は85歳でまだ元気なんですが、息子夫婦と住んでいて、“自分でやっていけなくなったらこの家を出されるんだろうか、どうなるんだろうか”と悶々としている。“世話になるのは気兼ねでつらいだろうし”と言いながら、自分で施設を探したりする気なんて全くない。探す知恵もないし、老後についての自分の考えもない。ただ、グズ、グズ、グズと悩んでいる。“母さん、いいよ、いいよ。家にずっといていいよ”。そう息子夫婦から言って欲しいのだと思う」
Bさん
「わたしの友だちもそうだった。83歳でシングルの息子と娘がいるんだけど。“そろそろどこかに入らなきゃいけんかね”と、恐る恐る二人に聞いたんだって、そしたら息子は“まあ、具合が悪くなって探せばいいじゃない”と言う。でも、頼りにならない。で、娘がいい返事をしない。それで友だちは施設の申込書を取り寄せて“ここに入ろうかと思う”と娘に言ったんだって。娘を試したわけね。そしたら、娘が“ああ、そう”って言ったんだって。“やめなさい”って言わなかった。ものすごくショックだったって」
Hさん
「そりゃあ、ショックだと思うわ。80過ぎるともうすっかり変わりますね。私もシングルの娘と二人で暮らしているんだけど。これまで私の方がいろんな世話をしてきて、何となく娘が親を見るのが当たり前という考えを持っていたんだけど、この間、具合が悪くなった時“病院についてきてくれないか”と頼んだ。すると、娘から“私はシングルで、ひとりで生きていかなきゃならないんだから、お母さんの面倒はみれない”とビシッと断られて。ものすごくショックでショックで、それからしばらく眠れなかった」
参加者と同じ年代の私はこの会話を「そうだろうなあ」「ショックだっただろう」などと思った。その一方、Hさんが続けた次の言葉に否定的な反応が参加者から相次いだことに違和感があった。
たった5,6歳の年齢差なのに70代前半までのグループの発言となぜこんなに発言が違ってくるのか。そう思ったのだ。やり取りを続けよう。
Hさん
「で、わたしはこれまで在宅で最期まで過ごしたいと考えてきました。でも、娘にはっきり言われて、“子どもがいても結局、いざとなったら一人”。それを痛感しました。これからどうすればいいかを改めて考え中です」
参加者「そりゃあ、そうだけど。施設見学といっても、もう車の運転も出来ないし」
参加者
「無理よ、無理。80才過ぎの友人が多いけど、ボランティアや講座出席やカルチャーに意欲的に参加していた人でも、交通手段で乗り換えがあったら不安で出歩けないって。あれもこれもしていたのに」
参加者
「パンフレット読んでも目がチラチラするし、説明聞いてもよくわからないじゃない」
…他に「まあ、いまの子どもはそんなものよ」「お宅はまだいいよ、娘さんだから。息子はダメ」「うちには子どももいない」等、いろいろ。
元気な人でも加齢による身体的な衰えが進むのが70代後半から80代だとして、一体、なぜ無力感を示す発言がこんなに多くなるのか。
「70の坂は超えやすいが、80の坂は超えにくい」と嘆く高齢者が多いが、これまで「自分は若い」と思い込んでいた人が「もう歳だから」と80歳を区切りにいろんな関わりから退く。そのためか。それともKさんが言う「(施設を)探す知恵もない」「老後についての考えもない」これまでの生き方、備えがないことが理由なのだろうか。
ところで、親たちの態度が70代後半から80前後のほんの数年の間に「世話にならない」から「よろしくね」に急に変わったとして、子どもの側はどうなのだろう。混乱しないだろうか。仕事をどうするか。夫や子どもとの関係はどうなるか。シングルならなおさら、親亡き後の人生が大きく左右される。
娘たちの本音、「子の心、親知らず」
私は30数年、大学の教員だった。大学を辞めて10年ちょっと経った今、関わった卒業生の最年長は60代半ば過ぎ。親の介護問題を抱える人も増え、子世代の立場からの話を聞く機会も多い。
そのなかで「世話にならない」と言ってきた親の態度が豹変したMさん、Nさんの例をあげよう。
まずMさん。60歳間近。1時間半ほどの距離にひとりで暮らす母親(82歳)の家に月に数回通う。妹がいるが母と不仲。夫婦で自営業を営む。
Mさん
「この間話していたらね、初めて母親が言うんです。“今のところ、ひとりで頑張ろうと思うけど、これから自分でできなくなったら、世話になります、よろしくお願いします”って。
それで、私が“じゃあ、これからいい施設なんかを二人で探していこう”と言ったら、“施設に入るのは嫌、自宅がいい”って言うんです。“ええっ、じゃあ、どうするの。私の家に来るの?”って、すごく戸惑ってしまって。これまで、ずーっとあなたの世話にはならないと言い続けてきた人ですから」
Mさんの母親は気丈で泣きごとを言わず何事も自分で決めていく人だった。だからNさんはこれまで「世話にはならない」という言葉を真に受け、「最後は施設に入るつもりだろう」と、その時が来るまで安否確認のために月に数回実家に通う。それが自分の「親孝行」だし「親の世話」と考えていたと言う。
そんななか母親が「よろしくお願いします」「施設に入るのは嫌。自宅がいい」と言う。それは「初めて」聞く予想もしない言葉で、「自宅」とはどこなのか、自分が母の家に通うのか、私宅に母を引き取るのか、その場合、仕事をどうするか、夫はどう反応するか、等々。すっかり混乱したという。
結婚して30年以上、月に数回通っても日帰りか一泊ぐらい、親子でじっくり込み入った話をしたことがないと言う。だとするとMさんが持つイメージと親の考えが食い違っていても無理はない。家族観も価値観も異なる世界に生きるのが別居する老親と子どもの現実で、「家族だから解る」時代ではなくなっている。
だが、Mさんの場合、倒れる前に親が「よろしくお願いします」と話し合いの機会を持とうとした分、まだマシである。
同様に母親が「あなたの世話にはならない」と言い続けてきたNさんの場合、父親の介護を機に県外での仕事を辞め実家に戻り、父の死後も80歳半ばの母親と同居するが、「今後どう生きていくか」将来の目途が立たたないという。
Nさんは53歳。母親は84歳。兄弟姉妹はない。シングルで現在は無職。
Nさん
「これから先の人生を考えると私はきちんと働いて稼ぎたいんです。でも、今のままでは母に振り回されて、どうしようもない。母は私が何かしてやってもありがとうとも言わない。クソーっと思わされるばっかり。一人では何もできもしないくせに“あなたの世話にはならない”と言う。だけど他人を巻き込むから私が動かざるを得ない。でも、母を見捨てられない私もいるんです。母はいつも独りぼっちなんです。老人ホームに入って人に囲まれていても独りだろう。そう思うと見捨てられない」
母娘関係が良好なMさんに比べ、Nさんの場合、親子仲が悪い分、事態はややこしく深刻である。「世話にならない」と言い続けてきた手前、意地やメンツも関わり、母親はNさんに「よろしく」と頭を下げることが出来ない。だから周囲の人を操作し巻き込む形で娘を動かそうとする。その結果、Nさんは親の世話のみならず、親が巻き込んだ関係調整のため右往左往することになる。
こんなNさんの最大の悩みは、シングルの自分がこれから先どう生きていくかという問題である。Nさん母・娘には父親が遺したお金がそれなりにあった。だから、私は母親が生活支援まで含んだ任意後見人を引き受ける事業所と契約し、Nさんは親と別居しギリギリの時点で関わる形にして、自分の就職先を探す方がいいのではないかというアドバイスをした。だが、それが出来ないのがNさんだった。
パワフルな母親に呑み込まれる形で育ったNさんに親を憎みながらも「見捨てられない」愛憎相半ばする強い感情があったからだ。「世話にならない」と言われながら関わらざるをえないことに苛立ち、ままならぬ自分の感情に苛立ち、将来の不安におびえる日々をNさんは過ごすしかなかった。
家族の未来、子世代の未来
Mさん、Nさんの例をみてきた。たった2例だが、元気な時と世話が必要になった時の親の態度の急変が、子どもの側にどう受けとめられるのかがよくわかる。そして、こうした状況はMさん、Nさんで異なるだけでなく格差拡大社会のなかでは経済力の差も加わり、子どもの側の状況が既婚か未婚か、兄弟姉妹がいるか、職業の有無、正規職か非正規職か、親と同居か近居か、県外か国外か、等々、千差万別。子世代に共通する「当たり前」の親の介護などなく、話し合い相互に調整しながらいくしかない。
しかし、子世代がおかれたこうした状況を高齢の親世代が実感的に理解することは難しい。なぜなら、高齢世代がなじみ、深く身につけた介護観、家族観は「家族が担って当たり前」「子どもが担って当たり前」というもので、「子ども(特に娘)がどうにかしてくれる」の期待につながるものだからである。若い人は驚くだろうがいまの高齢世代が子世代として介護を担った1990年代まで、多くの自治体に「孝行嫁さん表彰制度」があり、1998年に樋口恵子さんらの会が行った調査で「全国自治体の三分の一で実施」と報告される。そして、当時表彰されたのが今の80代女性なのだ。
加えて、高齢者のなかには介護保険制度がある現在、ヘルパー等介護サービスを利用すれば子どもの世話にはならずに済むと考える人も増えている。だが、制度はスタートから20数年間の相次ぐ改変で、制度と実態にスキマが生じ、認知症など高齢者のひとり暮らしを丸ごと支えるのは難しい。にもかかわらず元気なうちに制度の実態を知ろうとする人は少ない。
たった30年足らずで日本の家族は大きく変化してしまった。50歳時点で未婚・離別で配偶者がいない人の割合は親世代がまだ若かった1985年時には男性6.6%、女性8.7%と1割以下だった。それが2020年には男性31.9%、女性26.9%。子世代介護を担う年代の男性の3人に1人、女性は4人に1人が単身である。加えて、仕事を持つ50代女性の42%。半数近くは非正規雇用者で年間所得は低く、それは将来の低い年金額につながる。そんななか丸投する形で子どもが親の介護に巻き込まれることは、親子双方の未来を狂わせることになりかねない。なんと厳しい社会だろう。
投稿者プロフィール
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九州大学大学院博士課程中途退学。元松山大学人文学部社会学科教授。専門は臨床社会学。父子家庭や不登校問題、高齢者介護の問題などについて永年研究。
現在、「高齢社会をよくする女性の会・広島」代表。
著書として、シングル子介護、夫介護など現代社会が抱える家族介護の危機状況を分析した『変わる家族と介護』(講談社現代新書)。山川菊栄賞受賞『介護とジェンダー』(家族社)。『介護問題の社会学』(岩波書店)。鶴見俊輔・徳永進・浜田晋共著『いま家族とは』(岩波書店)など。近著として『100まで生きる覚悟』(光文社新書)、中国新聞「夕映え、そのあと先」連載。
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