私たちが住む街に、すぐそばで、気になる表現活動をしている人がいます。その現場に行って取材をするのは、日本で一人しかいないアウトサイダー・キュレーターの櫛野展正。
初回は輪島市に住む正角稔さんを取り上げます。82歳の正角さんの創作の原点は、高度経済成長を象徴するあるものへの憧れからスタートしました。
歴史ある街並みに存在する、真逆の建物
能登半島中央部に位置し、朝市や漆塗りなどの観光資源で栄える石川県輪島市。連続テレビ小説『まれ』の舞台としても有名で、歴史ある街並みが多くの観光客を呼び込んでいる。ところが、そうした伝統文化とは真逆の建物が、市中心部を通る幹線道路沿いの敷地内に存在している。新幹線をモチーフにした派手な外観が目を引く住宅で、近隣からは「新幹線の家」として知られている。
作者は、この家に住む正角稔(しょうかく・みのる)さんだ。82歳の正角さんは、5人きょうだいの3番目として輪島市で生まれた。子どもの頃から物作りの好きな少年で、「冬になるとソリやスキー板を自作したり、四輪車の車を木でつくって坂道を駆け下りたりしとった」と当時を振り返る。
中学卒業後は、半年ほどの修行を経て、製材用ノコギリなどの刃を研ぐ目立ての仕事を開始。35歳で独立し、職人として各地の製材所を回って仕事を請け負っていった。目立て職人として働く一方で、60歳頃になると、知人から山の木を伐採したり運搬したりする仕事も頼まれるようになった。「あっちからもこっちからも来てくれって言われてなぁ。人の倍働いたから、えろう儲けたんや」と当時を振り返る。
多忙な暮らしの中でも、続けてきたのが趣味の物作りだ。68歳の時には、自宅の庭に大掛かりな雨水を循環させる装置を1年がかりで制作。水道パイプや金属を組み合わせ、雨が降ると鹿威しや水琴窟が作動する仕掛けだ。この独創的なオブジェは評判を呼び、園児が遠足で訪れたり口コミで観光客らが見物に訪れたりすることもあった。他にもロケットや戦車、軍艦などの模型を制作したが、自宅の老朽化に加え、次第に庭が手狭になったため同市内へ引越しを決意。その時、脳裏に浮かんだのが、長年の夢だった「新幹線」をモチーフにした家をつくることだった。
「最新・最先端」を自分の手で再現
正角さんが新幹線への憧れを抱いたのは、33歳の時。町内会の旅行で初めて乗車した新幹線の車内で、窓から眺める景色が目まぐるしく変化していくスピード感に心踊った。以来、新幹線は正角さんにとって「最新・最先端」の象徴になったそうだ。2014年4月から図書館などで新幹線の資料を集め、1ヶ月かけて家の図面を作成。翌月から建設業者に手伝ってもらいながら家づくりを進めた。
新幹線の先頭車両をモチーフにした住宅は、先頭形状は1本ずつ曲げた木を接着剤とビスで固定し、白地に赤青黄色のラインを塗装し流線型を強調。通りに面した部屋は、トラックのフロントガラス2枚を加工し運転席まで設けた。運転席は誰でも自由に見学可能で、運転手として制服を着たマネキンまで設置されている。運転席に座りハンドルを握ると音楽が流れ、運転を疑似体験できる仕掛けになっている。運転席の隣は寝室で、最後部は茶の間になっており、2階建てにすると新幹線ではなくなるため平屋にしているというから、正角さんのこだわり具合には脱帽してしまう。払下げ品として購入した連結器や遮断機など本物も一緒に展示されており、雰囲気もバッチリだ。
正角さんは、70歳で目立ての仕事を引退してからも「暇やけん、人の真似できんようなものをやろう」と、ますます精力的に作品制作を続けた。旧宅から持ってきたものもあるが、ほとんどが新しくつくり直したものばかり。「時代の先端を行くもん、一番速いもんに憧れがあった」と全長7mのロケットや全長3メートルのF-15戦闘機などを制作。これらは全て正角さんの「最新・最先端」としての憧れの存在だ。ポンプを組み合わせ、大半の模型が可動する仕掛けになっており、糸で吊るした2機の模型は交差したり上下したりして訪れた人を楽しませている。よく見ると戦闘機やロケットには、「MS」「SW」などの英語が書かれているが、これらは自分や孫のイニシャルだというから、思わず笑みがこぼれてしまう。
「90%は頭ん中で考えとる」と語る正角さんだが、こうした作品群をつくるに当たって、まず書籍やミニチュアの模型などでサイズを測定し、拡大したものをダンボールで作成。それに基づいて丸太をチェーンソーで裁断し、塩化ビニールや金具を組み合わせていく。1つの作品をつくるだけでも相当な労力が予想されるが、「全くかかった歳月は計算せん。そんなん考えとったら、いいもんはできん」と断言する。まるで空間全体が遊園地のような色鮮やかな配色になっているのも、「一緒のことをやったら人の真似したことになる。自分の独自のもんを選ばなダメや。友達がやってきて、こーせいあーせい言うけど、絶対言うこと聞かん。自分で考えて自分でやるからこそ、自分の作品や」と教えてくれた。見られることを是として独自の道を突き進むそのスタイルは、ともすると、これまで多くの人から制止や非難を受けてきたことだろう。けれど、決して周囲に流されず自分が決めたことをやり続けてきた生き様は、SNSでの反応に一喜一憂を続ける僕らにとって、一番学ぶべき姿なのかもしれない。正角さんの膨大な作品群が僕の背中をぐいぐい押してくる。「次も戦闘機をつくろうと思うとる。『これ以上つくったら車入らへん』って遊びに来た孫からは怒られとるけどな、わはは」と豪快な笑い声が僕の耳にはいつまでも響き続けている。
投稿者プロフィール
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文・撮影
櫛野展正(くしの のぶまさ)
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
住所:広島県福山市花園町2-5-20
クシノテラス http://kushiterra.com
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