#11 生きている証

アウトサイドからこんにちは!

まだ世の中に知られていない表現や作品を発掘する日本唯一のアウトサイダー・キュレーター櫛野展正(くしの・のぶまさ)によるコラム。
9/16には新刊「アウトサイド・ジャパン 日本のアウトサイダー・アート」がイースト・プレスより発売され、このコンテンツでも登場した表現者も掲載されます。今回取材したのは“はくのがわ”さん。彼女の壮絶な人生から生まれた絵を見ていると、生きるための創作が迫力を増して迫ってきます。

はくのがわ(26)

居場所を求めて

「緊張するんでビール飲んでいいですか」

冷蔵庫から取り出した缶ビールをぐいっと飲むと、彼女はタバコに火をつけた。灰皿から溢れそうなタバコの煙が一気に小さな部屋を包み込んでいく。万年床になっている布団の隅から、彼女はクリアファイルの束を取り出した。それは、メモ用紙に描かれたモノトーンの奇妙な生き物で、まるでシュルレアリスム絵画を彷彿とさせる。

 「はくのがわ」と名乗る作者は、現在26歳。札幌市で3人兄弟の長女として生まれた。小学生の頃は、弟の面倒に掛かりっきりだった母親の気をひくために、わざと母親を転倒させたこともあった。母親の愛情に飢えていた彼女は、素直に自分の気持ちを表現することができなかったようだ。躁鬱病の診断を受けたこともある父親は、仕事を転々とする人だった。彼女が中学生になったとき、父親が自己破産したため住処を求めて、一家で埼玉県にある祖母の家に転居。北海道とは違った環境に、学校に馴染めないことも多かったが、母親に無理やり連れて行かされて何とか登校することが出来た。

 高校では軽音学部に入部。クラスに友だちが2人しかおらず、2人とも学校を休んだとき、「クラスのみんなが私の悪口を言ってるんじゃないか」と不安に襲われた。結局、高校は2ヶ月で辞めてしまった。母親からは「なんであんたは兄弟と違って学校に行けないの」と叱責を受け、彼女は自分の居場所を求め、インターネットで知り合った2人の大学生とバンド活動を始めた。生活費を稼ぐために酒店でレジ打ちの仕事やビラ配りの仕事に就くが、どれも長続きしなかった。

万年床がアトリエになっている

16歳で躁鬱病、18歳で結婚

 16歳から、年齢を偽り、インターネットの出会い系サイトを通じて援助交際を始めた。そのときからお酒やタバコを嗜むようになり、援助交際で稼いだお金は全てバンド費用やタバコ代などに消えていった。やがて、ビラ配りの仕事で知り合った29歳の会社員と2年間の交際を経て、18歳で結婚。

 「当時は、結婚したら幸せになれると思ってたんです。それまでも色々あったから」

 彼女は小学校の頃から、思い通りにいかないことがあると壁に頭をぶつけたり物を投げたりすることがあった。バンド活動を始めたことで交友関係も広がったが、《見捨てられ不安》が強く、仲の良かった友だちと揉めると「嫌われているから死んだほうがいいや」と思い込み、リストカットや薬の過剰摂取を繰り返すようになった。16歳からは精神科への通院を始め、躁鬱病と告げられた。結婚後はすぐに高層ビルの窓清掃の仕事を始めたが、途中で躁鬱の波が激しくなり、注意を受けるたびに不安になったり物を落としたりしてしまうことがあった。

リストカットした際に自分の血で描いた作品(後)

 「結婚相手は普通のサラリーマンでした。相手からお金貰えないし、バンド活動をしてることにも前向きじゃなかったから、休職中にまた援助交際をしてました」

 だんだんリストカットや自殺未遂が増え、相手に助けを求める回数が増えてくると、別れることも考えるようになった。ところが、相手は離婚には反対。彼女にとって、離婚できないストレスの矛先は飼っていたペットに向けられていった。

 「ペットをいじめるようになって最終的には溺死させちゃったんです。『あっ、殺しちゃった』と思いました。だから、この家を出ていかなきゃと思って、相手が出勤している間に引っ越したんです」

鬱状態でも絵は描ける

 別居期間を経て離婚が成立したのは4年後のことだった。23歳ごろからは生活保護の受給を始めたが、ちょうど鬱症状がひどくなり精神科へ入院したこともある。これまで6度の入退院を繰り返しているが、彼女にとって入院することは、乱れてしまった心をリセットする機会になっているようだ。最初に入院して以降、週に何度かを地域の福祉センターに通うようにもなった。

 そして、彼女にとってのもうひとつの居場所となっているのが、新宿・歌舞伎町にあるBar「砂の城」だ。出会い系サイトで知り合った男性から「君にぴったりな場所がある」と紹介され、顔を出すようになった。ここに夜な夜な集まるのは、元ホスト、バーテンダー、女装家、ニートなど生きづらさを抱えた人たちで、俳人・北大路翼のもと、酒を飲み交わしたり俳句を詠んだりしている。「つばっち(※北大路翼のこと)といると安心するし、周りの人とも癒されあっています」と、この場所に彼女は居心地の良さを感じている。必要なのは、ありのままの自分を受け入れてくれるアジールとしての居場所だったのだ。

 そんな彼女が18歳ごろから描き始めたのが、現在のスタイルの絵だ。ひどい鬱状態で何もできないときに、1日1回丸を描いていたら妙な達成感を味わうことができた。それは、自分が生きているという証とでもいうのだろうか。そうした行為を続けていくうちに、小さな丸を描き続けることで絵になるのではないかと思いついた。

 以降、小さなメモ用紙を持ち歩き、0.5ミリのボールペンで移動中や休憩中など思い浮かんだものを自由に描いている。小学校のころ、造形教室に通っていた彼女の夢は漫画家になることだった。残念ながらその夢は叶わなかったが、思春期になっても、ずっと彼女は何かしらの絵を描き続けてきた。

 「この絵はわたしの全てなんです。これを破ったり燃やしたりしたら殺すって感じですね。絵を描いてて本当に良かったです、描いているときは精神的に落ち着くんですよ」

 これまで描いてきた絵が彼女にとっては一番の良薬となり、こころの支えになっている。絵を描き頭の中のモヤモヤを吐き出すことで、彼女はこうして助けられているわけだ。都会の片隅で、またひとり「描かずにはいられない」という人と、僕は出逢ってしまった。

【Illustration Gallery】

投稿者プロフィール

櫛野展正(くしののぶまさ)
櫛野展正(くしののぶまさ)
文・撮影
櫛野展正(くしの のぶまさ)
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
住所:広島県福山市花園町2-5-20

クシノテラス http://kushiterra.com

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