父の面会に行くと、「ひとりか?」と訊かれるようになった。
コロナ対策が落ち着いて、遠くからも親戚が面会に来てくれるようになり、賑やかな時間を過ごした楽しい記憶があるのだろう。「そうか、ひとりか」と言われると、なんだか申し訳ない気になる。明らかに気が抜けたような顔をされると、こちらもガッカリする。私ひとりが顔を見せるのは、父にとって日常のひとコマであり、気分が盛り上がるイベントにはならないのだ。
親戚を前にして、父はいつもこう言う。「どうしとるかと気にかけてもらうだけで嬉しいし、こうして会いに来てくれたらもっと嬉しい」。喜び上手である。耳が遠いので、相手の言うことはちゃんと聞こえていないと思うが、ニコニコ笑って話を合わせている。空気を読むのも上手く、聞こえないなりに会話を成立させるのは、父の特技だろう。
ただし、その楽しい時間も長くは続かない。テンションが上がり過ぎるせいか、20分も経つと眠たくなるのだ。そして、すぐにトイレに行きたくなる。地球上で3分しかもたないウルトラマンに比べると、がんばっていると思うけれど、エネルギーが切れた瞬間が見ていてはっきり分かる。胸のカラータイマーがピコピコ点滅するかわりに、まぶたがトロンと落ちてくるのだ。
初代ウルトラマンの年齢は約2万歳。人間に置き換えると50代らしいので、96歳の父よりもはるかに年下である。そりゃあ、父のエネルギー切れは仕方がない。かくして、賑やかな再会は、30分も経たないうちにお開きとなるのだ。
来客があったときは、なるべく写真をたくさん撮るようにしている。小さなアルバムをつくって、父に渡しているのだ。何冊かたまったそれらのアルバムを、父は手元に置いてときどき眺めているらしい。日付と来客の名前を書いているのだが、その出来事を忘れているときもある。
一枚一枚写真を見ながら説明すると、「おー、そうじゃったそうじゃった。会いに来てくれたわい」と懐かしそうな顔をしたり、「そうじゃったかの?」と首をひねったり。いつも記憶がよみがえるわけではないけれど、思い出した瞬間には笑顔がはじける。これも、ひらめきで脳が活性化すると言われるアハ体験だろう。
そう考えると、私の面会自体には意外性がないので、顔を合わせた瞬間、父が何かをひらめくこともない。けれど、いろんな話をすることでアハ体験を引き出すことはできる。「ひとりか?」と言われて、しょんぼりしている暇はない。話のタネをどんどん蒔かなくちゃ。
意気込んで会いに行くと、父はいきなり「こりゃあ何の紋章か?」と私の胸のブローチを指さした。「紋章じゃなくて、おしゃれでつけているブローチだよ」と言うと、「そうか、おしゃれか」と笑った。肩透かしを食らった気分だが、見慣れないものを面白がる父の好奇心があれば、アハ体験のもとはそこらじゅうに転がっているのかもしれない。
さて、次はどんな意外性のあるものを身につけて会いに行こうかな。
【次回更新 その76】
2023年12月3週目(12月11日~15日)予定
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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