父は順応性が高いほうだと思う。「はじめまして」の場所にも、無理なくなじんでいる姿を何度も見てきた。
生まれ持った気質なのか、転勤族だったサラリーマン時代に培われたものか、それとも何か秘訣があるのか。父に訊いてみたことがある。「そんなもんはないが、まあ、自分をエラそうに見せようとせんことかの」と、なかなか奥の深いひとこと。そう言われてみると、父は腰が低い。ペコペコするわけではないけれど、ちょっとした冗談で笑ってもらいながら、その場の空気に溶け込んでいく感じだ。
世間ではよく、年を重ねると頑固になりやすいと言われるが、父の社交スタイルは94歳になっても柔軟だと思う。だから、父がお世話になっているホームから、居室の引越しを打診されたときも、あまり心配はしていなかった。
引越しと言っても、3階から4階に移るだけで、居室の間取りは変わらない。ただし、同じフロアで生活する、お仲間の顔ぶれが変わるのだ。クラス替えをした学生のような気分を、父は味わうことになるだろう。
引越しを提案された理由は、父が「元気だから」という前向きなものだった。今のフロアに入居されている方々は、父よりも介護の手を必要とする方が多いらしい。そして、引越し先になるフロアには、父と同じくらいの介護認定の方々が入居されているようだ。父は一昨年の年末に大腿骨を骨折して、以前ほどは自由に歩き回れなくなっているものの、「体調はすこぶる良い」と判断されたのである。
この提案には、フロアが変わっても人間関係や生活環境はあまり変わらないように・・・というスタッフの方の配慮もあった。いつも父の囲碁の相手をしてくださっている方もお元気なので、二人ともOKならば一緒に移る。どちらか一人でも断れば、この話はなかったことにする。という入居者目線の心遣いだ。
本人が了承して、囲碁仲間の方も一緒であれば、私に異論はない。コロナ禍でホームは面会禁止が続いているため、父の意向を直接確認するのはスタッフの方にお任せした。そして、父の引越しが決まった。
スタッフの方の話によると、父は引越しの前日まで、荷物のことなどあれこれ気になってソワソワしていたそうだ。もともと落ち着きのない性格なので、そうなるだろうと予想はしていた。フロアを移った直後は、「まだ慣れませんわあ」と戸惑うこともあったようだが、3日目くらいには落ち着きを取り戻したと聞いて安心した。
年末年始に帰宅したときも、寝起きにはキョロキョロして「ここはどこかいの?」という顔をしていたけれど、3日目の朝にはキョロキョロしなくなっていた。どうやら、新しい環境に慣れるまでの期間は3日、というのが今の父の順応スピードらしい。早い!と思うのは、私だけだろうか。
つい先日、引越し後の父の日常を垣間見ることができる写真が、ホームから郵送されてきた。新しいお仲間たちと、麻雀やトランプを楽しんでいる姿も写っている。父のお達者ぶりが、一段と上がったような笑顔だ。
面会禁止が解除されて父に会える日が来たら、いくつになっても環境の変化に順応できるコツを、あらためて訊いてみたいと思っている。
【次回更新 その58】
2022年6月3週目(6月13日~17日)予定
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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