父の老眼鏡は、ほとんど出番がない。
耳が遠くて「聞こえ」には苦労するけれど、「見る」ことに関しては日常生活にさほど支障はないようだ。「はなせばわかる。ちーと離して見りゃあ、読めんことはない」と呑気に笑っている。
もめごとは、話せばわかる。目のことは、離せばわかる。それが父の言い分だ。ただし、署名をしなければならない大事な書類を前にすると、「ありゃあどこに置いたかの」と老眼鏡を探しはじめる。父の「離せばわかる」は、なんとなく見えているという意味なのだろう。
それなら、なぜ普段から老眼鏡を使わないのか。理由を訊いたこともあるが、「耳は遠いが目はよう見える。大丈夫じゃ」という言葉が返って来た。父なりの思いがあるのだろう。
そんな父でも、いざ老眼鏡が使えない状況になると、不安になるらしい。
老人ホームでの生活にも慣れてきたある日、父の部屋を訪ねると開口一番「メガネが壊れてしもうた」と苦笑いをした。落としてレンズが割れたか、フレームが折れたか。そう思って、テーブルに置かれた老眼鏡に目をやると、片方のレンズが外れていた。よく見ると、レンズを留めてあるはずのネジがなくなっている。いつの間にかゆるんで、取れてしまったのだろう。
ぽっかりと空いたネジ穴を見せながら、修理ができることを父に説明したが、どうもピンと来ていないようだ。そのとき、ふと気づいた。ネジ穴が小さすぎて、裸眼の父には見えていないのだ。老眼鏡をかければ見えるだろうけれど、その老眼鏡が使えないので・・・という、なんともトホホな会話になったことは、想像していただけるだろう。
とりあえず、小さなネジとドライバーを買って来て応急処置をした。細かいところまでは見えていない父は、「たいしたもんじゃのう」と褒めてくれたが、どう見てもざっくりした処置だ。そのことを伝えると、「これで十分じゃ。わしが生きとる間は外れんじゃろう」と、いつものことながら自分の生き死にを笑いのネタにした。
私と一緒に暮らしていたときは、ほとんど老眼鏡を使わなかった父だが、最近は裸眼で新聞を読むと疲れると言う。
朝、カーテンを開けて一人掛けのソファーに座り、部屋に届けてもらった新聞を広げるのが父の日課になっている。両腕を前に伸ばし、両肘を少しだけ曲げる。このポジションで新聞を持つのが、老眼鏡なしでも読める距離だと実演してくれた。
「じゃがまぁ、30分くらい読むときはメガネがあるほうがラクじゃ」・・・って、そりゃあそうでしょ。目だけじゃなく腕も疲れるはず。で、老眼鏡の出番が増えたのだろう。
応急処置をしたメガネをかけて、父の実演はつづく。「こうやって、まず、ここを読む」と新聞をめくって見せてくれたのは、お悔やみ欄。またしても、お得意の生き死にネタだ。たまに知った名前を見つけると、心の中で手を合わせて一日がはじまるらしい。
その習慣も、プロ野球が開幕したらちょっと変わる。広島カープが勝った日の翌朝は、お悔やみ欄よりも先にスポーツ欄を広げ、次にテレビ欄で野球中継があるかどうかチェックする。カープの勝ち負けで父の新聞の見方は変わり、一日のはじまりも変わってくるのだ。
今年、93歳になる父の誕生日には、カープの記事がたっぷり読める、新しいリーディンググラスをプレゼントしようと思う。
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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