その2 転ばぬ先の手ぶら

父ときどき爺

 父がコケた。散歩の途中、何かにつまずいたらしい。
顔を血だらけにして帰ってきたのでギョッとしたが、病院で診てもらったところ骨には異常なし。鼻と頬のあたりを擦りむいただけで、大事には至らなかった。

 絆創膏だらけの顔で「コケかたが、うまかったんじゃろう。わしの受け身も、なかなかのもんじゃ」と照れ隠しのように笑う父。腕に擦り傷がなかったので、とっさに手が前に出なくて骨折を免れたのではないか…と思ったが、口に出すのはやめておいた。何はともあれ、元気でいてくれたら、それでいい。

 顔の傷が目立たなくなってきたころ、父は腰が痛いと言いはじめた。いつもは背筋がしゃんと伸びて姿勢のいい父が、腰をかがめながらすり足で歩いている。玉手箱をうっかり開けてしまった浦島太郎のように、突然お爺さんになってしまったのだ。

 ぎっくり腰?それともコケた後遺症が今ごろ出たの!?父よりもあわあわしている私の頭の中には、[高齢者の転倒=寝たきり]という図式がくっきり浮かんでいた。

 カラダの大きな父を支えながら病院にたどり着き、診察してもらった病名は「脊柱管狭窄症」。高齢者の腰痛の原因として多い症状であることは、私も耳学問で知っていた。とりあえず、通院治療とリハビリをして様子を見ることになり、日常生活では腰に負担がかからないよう、杖をつくことをすすめられた。

 早速リハビリ用の杖を買い求め、しばらくは杖に頼りながらゆっくり歩いていたが、痛みがやわらいでくると、徐々に歩くスピードが速くなってきた。杖をつく音もカツカツ響いて、あっちこっちと指を差すかわりに杖を振り上げることもある。その姿はまるで、吉本新喜劇で杖をブンブン振り回していた、間寛平さん演じる危ないお爺さんのようだ。そう思うとちょっと笑えるが、街なかでは迷惑だし、凶器にもなりかねない。注意すると気をつけてくれるのだが、使い慣れていない杖がどうにも邪魔そうだ。「なくても歩けるんじゃが」「まぁ、そう言わずに」「転ばぬ先の杖か」「そうそう、安心のためにね」。

 そんな会話を繰り返しながら半年くらい経ったころ、「もう大丈夫じゃ」と父は杖を持つのをやめた。いつものように引き止めたが、「杖に引っかかってコケそうになる。かえって危ない」と言われては、引き下がるしかない。

 と同時に、それは喜ばしいことでもある。一時は、杖なしでは外出できなかった父が、治療とリハビリをはじめて一年も経たないうちに、杖を手放すまでになったのは驚異だ。親身になって治療とリハビリをしてくださっている先生方のおかげであり、父自身の快復力にも頭が下がる。人間はいくつになっても復活できることを、父が身をもって教えてくれた。

 念のため、病院で杖のことを相談した父は、意気揚々と帰ってきた。「杖をついて漫然と歩くより、杖なしで足元に気をつけながら歩くほうがいい」と先生に言われたそうだ。よくよく訊いてみると、一番いいのは「杖をついて気をつけながら歩くこと」だったようだが、父は自分にとって都合のいい二番目を選んだらしい。転ばぬ先の杖ではなく、転ばぬ先の手ぶらが、今の父にとってはベストな選択なのだろう。

 やがて父は、手ぶらで出かける日と、杖を持って出かける日を使い分けるようになった。日々の体調は自分が一番よく分かっていて、何ごとも臨機応変なのだ。

 それにしても、お父さん。いくら調子のいい日でも、90歳で一日一万歩は、歩き過ぎじゃないでしょうかね。

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