父は、年金生活のベテランだ。
定年退職してから生まれ故郷に帰り、祖母が営む店を手伝っていたので、働いていた期間はかなり長い。が、収入源が年金だけの生活も長くなってきた。
過疎化が進む地域で長年、なんでも屋のような雑貨店を切り盛りしていた祖母を看取って、父は店を閉めた。もっと早く閉めてもよかったと思うが、祖母だけでなく父にとっても、働き続けることは生き甲斐の一つだったのかもしれない。
店の片づけがすべて終わると、父はスッキリした顔をしていたが、どこか寂しそうでもあった。
それからは、「働かざるもの食うべからずじゃが、働かんでも腹はへる」と笑いながら言うのが父の口ぐせになった。そして、「寝とって貰えるんじゃから、ねん金じゃなくて、ねる金じゃの」と申し訳なさそうに笑うこともある。
いやいや。ずっと働いてきたんだから、大いに食べて、寝て、笑って、のんびりしてくださいな、お父さん…と言っても、のんびりすることに飽きてしまうのが、父なのである。
浮世離れしたご隠居さん生活は、父の性には合わないらしい。なにかしら社会と関わっていたいという気持ちが、日頃の言葉からひしひしと伝わってくる。
「この歳になったら、生産的なことはなかなかできんが、消費することで経済活動に参加しとる」と言うのが父の持論だ。
消費すると言っても、大きな買い物をするわけではなく、あれが欲しいこれが欲しいという物欲はほとんどない。もてなされるより、もてなすことが好きな父は、人を喜ばせたいと思ったときに財布の紐がゆるむのだ。
たとえば、散歩や碁会所に出かける前には、「なんか食べたいもんはないか?」とよく訊かれる。「うーん、ないよ」と答えると、ちょっとガッカリした表情になるが、仕事をしている最中に声をかけられると、咄嗟に思いつかないのだ。
それでも父は、「うまそうじゃったけぇ」と、かしわ餅やシュークリームなどのおやつをどっさり買ってきてくれる。「食べてみぃ」「お父さんは?」「わしは今ええ。晩めしが食えんようになる」。それは私も同じだと思うが、私が口にするまで「食べてみぃ。うまそうじゃろ。食べてみぃ」と言い続けるので、毎回おいしくいただくことになるのだ。
どうやら私は、おいしいものを食べたときに一番いい表情をするらしい。娘のうれしそうな顔を見て父が喜んでくれるなら、おやすい御用である。
その結果、父と暮らしはじめてから、私は以前にも増してふくよかになった。言い訳がましいけれど、ちょっとした親孝行太りだと思って自分を甘やかしている。だけど、さすがに、このままじゃマズイなぁ。
父は年金のことを「ねる金」と言うけれど、自分は寝てばかりではないし、お金を寝かせてもいない。父の年金は、やっぱり「ねん金」なのだと思う。
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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