父と会えないまま、桜の季節を迎えようとしていた。
お世話になっている高齢者施設でコロナ感染が広がり、1月の終わりからずっと面会できない日々が続いていたのだ。その間、父も感染したが、発熱のほかには目立った症状がないまま回復した。と、連絡を受けている。ほっとしたけれど、顔を見て安心したいという気持ちは、胸のあたりにもやもやとあった。
そして、3月。世の中ではマスクの着用が個人の判断になり、父の施設もようやく面会禁止が解除された。桜の蕾がふくらみ始めた時期のことだ。
コロナ禍の面会はロビーの一角に限られていたが、今回から居室で会うことが許された。顔を見るなり「お、来たか。まあ座れ座れ」と椅子をすすめてくれた父は、いつもと変わらないように見える。それでも、気になっていたことを訊いてみた。
「お父さん、コロナになったんでしょ。どうだった?」「うーん。なんかここでもコロナが出たとか聞いたが、すぐ落ち着いたらしいわい」。父のこたえは他人事のようだ。自分が感染したことを覚えていないのだろうか。
質問を変えてみよう。「熱が出たらしいね」「おお、ほうじゃった気もするが大丈夫じゃ。なんともない」。熱が出て寝込んだことも忘れているようだ。この話は、もう終わりにしよう。父にとって何ごともない日々だったのなら、蒸し返す必要はないから。
人間には、忘れるというチカラがある。それは、ときに幸いなことでもあると、ほがらかな父の顔を見ながら思った。

昨年の面会禁止中、父は居住フロアを変わることになり、新しい環境で生活を始めていた。引越しの立ち会いもできなかったので、今回初めて父の新しい城を見ることができた。居室の広さや設備はこれまでと同じだが、間取りの関係でベッドと家具の位置が逆になっている。それでも、父はすっかり住み慣れているような振る舞いだ。
「新しい部屋はどう?」「静かでええ。マイペースじゃ」。父の言う「静か」とは、居室へのスタッフの方の出入りが以前のフロアより少ない、ということらしい。引越し後のフロアは、介護度が低い入居者の方が多いので、みなさんそれぞれのペースで生活されているようだ。なので、スタッフの方も自主性を大切にされているのだろう。もちろん、目配り、気配りで、父のことをしっかり見守ってくださっていることに変わりはない。
「新しいお仲間とは、どう?」「ときどき囲碁やら麻雀やら誘いに来てくれて、気晴らしになってええわい」「よかったね」「おお、100歳まではラクに生きそうじゃ」。
父は社交的な性格だと思うが、新聞を読んだり、テレビを観たり、ひとりでのんびり過ごす時間も必要なのだ。そんな父にとって、ここはベストな生活環境なのかもしれない。
コロナに感染したことも忘れながら、今を楽しんで生きている父の城には、おだやかな時間が流れていた。
桜が咲いたらコロナ前のように、近くの川土手で一緒にお花見散歩をしたい。そんな私のささやかな願いが叶うのは、まだ先になりそうだけれど、来年の桜の季節もきっと父は元気だ。

【次回更新 その69】
2023年5月3週目(5月15日~19日)予定
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