その59 引き算の長寿祝い

 父が95歳の誕生日を迎えた。

 90歳は卒寿、99歳は白寿と呼ばれているが、95歳に「珍寿」という呼び名があることを、父の誕生日に初めて知った。長寿祝いは算数である。「珍」という漢字の「王」へんを分解すると「一」「+」「一」、右のつくりを「八三」として「1+10+1+83=95」になる足し算で「珍寿」になったとか。一説によると、これほどの長寿は珍しいという意味で、110歳以上の呼び名にもなっているそうだ。

 父の家系では、95歳でも立派に珍しい。ぶっちぎりの長寿だ。ここはやっぱり、父の顔を見て「おめでとう」を言いたいし、拍手を贈りたい。父がお世話になっているホームはまだ、コロナ対策の面会禁止が続いているけれど、年に一度の誕生日だもの。

 というワケで、ホームに電話をかけてお願いしてみた。「誕生日の当日に、少しだけでも顔を合わせることはできませんか?」と。やさしい声で「いいですよ」という返事をいただき、「ありがとうございます!」と私はスマホに何度も頭を下げた。

 5か月ぶりに父と会える。外出許可が出た年末年始に、わが家で一緒に過ごして以来の再会だ。何を着ていこう。いや、その前にプレゼントだ。バースデーカードも用意しなくちゃ。面会できなくても届けるつもりではいたが、父の喜ぶ顔が見られると思うと、あれもこれもとプレゼントが増える。

 ポロシャツと、室内履きと、バースデーケーキがわりのお菓子。ついでに、わが家に置いたままになっていた老眼鏡も修理して、新しい眼鏡ケースに入れて持って行った。父は今、別の老眼鏡を使っているが、予備のつもりで。

 ホームのロビーに現れた父は、「よぉ、元気そうじゃの」と笑いながら右手をあげた。5か月間のブランクがあるとは思えない、いつも通りの笑顔だ。「95歳になったが、なんも変わらん」という父の言葉は大袈裟ではない。むしろ、若返ったようにさえ見える。父の場合は、足し算じゃなくて引き算の長寿祝いなのだろうか。

 プレゼントはどれも「気持ちがうれしい」と喜んでくれたが、一番反応がよかったのは、ついで用意した老眼鏡だった。もともと父が使っていたものを修理しただけなのに、「こりゃあ、今まで見えんかった世界までよう見える」とご満悦だ。眼鏡屋さんでメンテナンスしてもらったので、新品だと勘違いしたのかもしれない。だったら、まあ、そういうことにしておこう。

 
 私には、父に訊ねてみたいことがあった。4か月ほど前、ホームからの提案で居室のフロアが変わり、一緒に生活するお仲間の顔ぶれも変わった。スタッフの方からは、新しい環境にも3日くらいで慣れたようだと聞いてはいたが、父の本音はどうなのだろう。直接話ができなくて、ずっと気になっていたのだ。

 「どこで暮らしても変わりない。元気じゃ」と、父は拍子ぬけするくらいあっさり答えた。「環境が変わることに苦手意識を持たんようにしとる。苦手じゃと思うたら苦手になるからの」。父の順応性の高さには、こんな思いがあったのだ。

 そして、人間関係について訊ねると、父はさらりと言ってのけた。「新しい人に会うことを、苦にしたことはない」。そうだろうとは思っていたが、父の口から聞くのは初めてだ。「気分転換になるし、人の人生はいろいろあって刺激にもなる。こっちがイヤじゃと思わんかったら、相手も同じように接してくれるから、うまくいくわい」。

 この楽天的な考え方が、いくつになっても変わらず元気でいられる原動力かもしれない。短い面会時間だったが、顔を合わせて話ができてよかった。

 「はよう、またみんなで乾杯したいの」と、手を振りながら見送ってくれた95歳の珍寿の父。この調子なら、110歳を超えた珍寿の祝いのときも、変わらず笑ってくれているような気がする。




【次回更新 その60】
2022年8月3週目(8月15日~19日)予定

   

profile


角田雅子(かくだ まさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作会社を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」。
 

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