父は、自力でトイレに行くことをあきらめない。
癌の手術で入院したときも、大腿骨を骨折したときも、まずは自分ひとりでトイレに行けるようになることをモチベーションに、リハビリを頑張っていた。
その姿をあらためて思い出したのは、父のウォシュレットが壊れたときだ。父がお世話になっている老人ホームの個室には、トイレと洗面台がついている。入居時に設置されていたウォシュレットは、てっきり備品だと思っていた。
ところが、そうではなかった。どうやら父の前に入居されていた方が、置いて行かれたものだったらしい。スタッフの方から「水漏れして修理もできない状況なので、どうされますか?」という電話があり、そのことを知ったのだ。
「なにはともあれ、トイレは快適でなければ!」と、あわてて新しいウォシュレットを買いに走った。「なにはともあれ」と私が思ったのは、父にとってトイレは大切な場所だという意識が強かったのだろう。ストレスの原因になるようなことは、一刻も早く解決したかった。
取り替えたウォシュレットを父に試してもらうと、「こりゃあええわ」と喜んでくれた。まるで、初めてウォシュレットを使ったみたいに・・・ん?もしかして、今まで使っていなかった?
よくよく話を聞いてみると、ホームに入居したときから使い方が分からなくて「ま、いいか」とスルーしていたらしい。なぜ水漏れしたのかは不明だが、一刻を争うような事態ではなかったのだ。
ありゃりゃ。足がもつれるほど、あわてて買いに走ることはなかったのね。けれど、新しいウォシュレットは操作が簡単そうなものを選んだつもりなので、ぜひぜひ活用してほしい。もっと快適なトイレライフになると思いますよ、お父さん。
以前、高齢者の生活リハビリについて専門家の話を聞いたことがある。最も印象に残ったのは、日常生活に必要なすべての基本動作が、自力でトイレに行く動作に含まれているという話だ。
ベッドから起き上がり、歩いてトイレまで行き、便座に腰かけて、終わったら立ち上がる。なるほど。歩く、座る、立ち上がる。この基本動作を繰り返していれば、知らず知らずのうちにトレーニングになりそうだ。トイレだけでなく、大抵のことは自分でできるカラダを維持できるかもしれない。
「すべての道はローマに通ず」という言葉があるけれど、「すべての動作はトイレに通ず」だ。
そして、もうひとつ。気持ちの問題も大きい。介護の中で「待った」がきかないのは排泄だ。自分ひとりでは難しい場合は、誰かの手を借りる必要がある。もちろん、遠慮なくどんどん借りればいいと思う。いいと思うけれど、それは私が手を貸す立場しか経験していないからかもしれない。手を借りる立場になったら・・・と想像すると、いろんな気持ちがわいてくる。
「いくつになってもトイレは自分で」と父も思っているだろう。紙パンツをはく頻度が増えた今も、それは変わらないはずだ。父が紙パンツを使いはじめたきっかけは入院だったが、自立の助けになる「便利なものは利用すればええ」と思ったのかもしれない。
トイレはやっぱり、誰にとっても大切な場所だ。
と言いつつ、今日はまだ我が家のトイレを掃除していないことに気づいた。トイレの神様、口ばっかりでどうもすみません。
【次回更新 その51】
2021年11月3週目(11月15日~19日)予定
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