その10 おとぼけ親子のうっかり

 父の決断ではじまった家じまいが、本格的に動き出した。

 「更地だったら」という条件で、土地を購入してくださる方が見つかったのだ。「家ごとひっくるめて引き受けてくれたら、タダでええんじゃが」と言っていた父も、「今どきはタダでも要らんのじゃのう」と更地にすることを決めた。何はともあれ、父が長年住んでいた土地が、これから先も荒れ地にならずに済みそうだ。そのことだけでも、肩の荷が軽くなったような気がする。

 不要な物を処分して、いよいよ解体作業がスタート。すべて順調に進んで…と思っていたが、手続きをする過程で思わぬ待ったがかかった。土地の名義が、亡くなった祖父のままになっていることが分かったのだ。あわてて父に伝えると、平然とした顔でこう言った。「あのあたりには、古くからの土地を持っとる人がいっぱいおる。何代もさかのぼって名義変更するのは無理じゃから、みんなそのままにしとるんじゃ」。

 へ?いやいや、それでは困る。「身内が住み続けるなら何とかなるかもしれないけど、売買するんだから名義は変えないと」「ほうか?固定資産税はちゃんと払っとるから大丈夫じゃろう」「税金の話じゃなくて、名義がお父さんになってないと買ってもらえないらしいよ」「ほうかぁ」。父の顔色が変わった。

 それからバタバタと本籍地まで戸籍謄本を取りに行き、祖父から父へ名義変更ができるよう専門家に必要書類を整えてもらった。わが家の場合はそれで済んだが、なかには顔も知らない親戚の署名・捺印まで必要になり、その親戚が海外に移住していたケースもあるそうだ。

 その話を聞いて、あらためて胸をなでおろした。「わしが元気なうちに」と父が家じまいを決断してくれなかったら、海外まで行くことはなくても、祖父の代までさかのぼる役目は私にまわっていただろう。

 今回のようなこみいった話をするときは、私が窓口になって父に確認しながら対応している。耳が遠い父は、電話での会話がどんどん難しくなっているからだ。面と向かえば電話よりも聞き取りやすいようだが、それでもなかなかスムーズに話が進まないので、となりにいる私に向かって説明をされることが多い。

 そう。私がとなりにいると、父はたちまち「介助の必要なお爺さん」という立場に置かれ、当事者である父を飛び越して会話が進んでしまいがちなのだ。もちろん、大事なことは耳元でゆっくり伝え、そのつど父の意思を確認するようにしている。けれど、その姿がなおさら父をお爺さんに見せているのかもしれない。耳が遠い90歳のお爺さんであることに違いないが、父自身はまだ「介助の必要な」ではないと思っている。

 日頃の生活を振り返ってみても、父の年代になると、娘と一緒に歩いているだけで介助されているように見えるようだ。そして、若い人なら「うっかり」で済まされることも、認知症ではないかと心配される。

 以前、父が銀行の窓口に別の銀行の通帳を出したことがあったそうだ。それをたまたま見ていた知り合いが、心配して私に教えてくれた。ありがたいことだが、同じようなデザインの通帳だから「うっかり」間違えてしまったのだろう。なので、あえて父に訊くのはやめておいた。

 そういう私も、買い物をするときに別の店のポイントカードを出してしまうことがある。今はまだ「カードが似てますからねぇ」と笑って許してもらえているが、いつかは「お客さま大丈夫ですか」と心配される日が来るのかもしれない。

 年を重ねると、どうやら「うっかり」が大袈裟に捉えられ、若い頃よりも気楽に「うっかり」できなくなるようだ。おとぼけ父の血を引くおとぼけ娘の私には、なかなか生きにくそうな近未来だと思う。

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角田雅子(かくだ まさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作会社を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」。
 

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