父には、初対面の人とすぐに打ち解けられる「持ちネタ」がある。
「はぁ、もう、91歳になりましたわぁ」。白髪頭に手をやりながら父がそう言うと、「え!?見えません見えません。お若いですね!」と大抵の人には驚いてもらえる。すると父は畳みかけるように「歯もぜんぶ自前ですけぇ、この歳になっても、よう食べるんです。働かんでも腹は減る。食うたら眠とうなる。寝る子は育つと言いますが、年寄りは育ち過ぎると、すぐにあの世ですわ」と笑いながらしゃべるのが、いつものパターンである。
いっしょに笑ってくださる方。「まだまだお若いですよ」と返してくださる方。そんなリアクションに気を良くして、満面の笑みをたたえた父は、いっそう若々しくなるという好循環なのだ。初対面のときだけでなく、何度もこのネタに付き合ってくださる方々には、本当に頭が下がる。ありがとうございます。
思えば父は、89歳のときには「90歳になりますわぁ」と言い、90歳になると「もうすぐ91歳ですけぇ」と、実年齢より1つ多い数字を口にしてきた。数え年の感覚なのか、多めに言うほうが「ウケがいい」と思っているのか。どちらにしても、年を重ねるごとに持ちネタのパワーは増しているような気がする。自分でも、その手応えがあるのだろう。「年齢を訊かれたら1歳でも若く」というサバ読みは、父の辞書にはない。
父と暮らすようになってから、私の心の師匠は、漫才師の博多華丸・大吉さんだ。日々の出来事をネタにして楽しそうにボケる華丸さんを、大吉さんはツッコムことなく見守り、ときには落ち着かせる。とぼけたことを言って人に笑ってもらうことが好きな父と、そばにいる私も、そんな関係になれたらいいなぁとお手本にしている。
けれど、現実は、そうはうまくいかない。父が外出先で、あまりにとぼけた言動を繰り返すと、ついついツッコミたくなるのだ。「お父さん、さっきも同じこと言ったよ」「お父さん、声が大きい大きい」「お父さん、顔が近い近い」。相手の方に対する私なりの気遣いでもあるのだが、はしゃいでいる父の横で水をさすような言葉がぼろりと出てしまう。
そんなときは、大吉さんが漫才のなかで華丸さんによく言うこの言葉を、父だけでなく自分自身にも言い聞かせている。「落ち着こうか。ちょっと一回落ち着こう」。ひと呼吸置いてみると、そんなに迷惑な状況でもないと気づいて「ま、いいか」とツッコミの回数が減るのだ。ちょっとしたことだが、高齢の父と暮らす私にとっては、魔法の言葉だと思っている。
そんなある日、父がテレビに映っている華丸さんと大吉さんを見ながら「おもしろいのう。この二人は兄弟かぁ」とつぶやいた。昔から兄弟の漫才師は多いし、そう言われてみれば雰囲気が似ているかもしれない。けれど、兄弟じゃなくて同級生だ。そのことを父に伝えると、「ほうか。博多華丸、博多大吉と書いてあるが、苗字は同じなのに違うんかぁ」・・・そこかい!博多は芸名じゃい!
父のおとぼけは、私の心の師匠もひょいと超えてしまった。
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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