その66 年男と年越し

父ときどき爺

 父の干支は「卯」。今年96歳になる年男だ。

 いつにも増して、めでたいお正月。父がお世話になっている高齢者施設から外泊の許可が出て、わが家で一緒に年末年始を過ごせることになった。年男と年越しとは、こいつぁ春から縁起がいいわえ。

 と、浮かれてばかりもいられないのが、コロナ禍の帰宅だ。父を迎えに行ったとき、施設の看護師さんから家庭での感染対策について説明を受けた。本人だけでなく接触した家族も、熱や風邪などの症状が出たら発熱外来を受診すること。結果次第では、すぐには施設に戻れなくなるそうだ。それを聞いて、ピリッと気が引き締まった。

 父の帰宅に備えて、電動ベッドやトイレの手すりはレンタルしたが、もしも感染して自宅療養や自宅待機になったら・・・うーん、どうしよう。心の準備ができていない。『感染対策のお願い』として渡された書面には、マスクの着用、室内の換気、可能な範囲での黙食と書かれている。はい、守ります。耳の遠い父に話かけるときは、どうしても声が大きくなりがちだけど、気をつけなくちゃ。

 わが家に1年ぶりに帰ってきた父の第一声は、「懐かしいのう」だった。「ここはどこかいの?」ではなかったことに、まずはほっとした。そして、昨年の帰宅よりも、どこか落ち着いているように見えた。

 実は昨年、父は寝て起きるたび、わが家に帰っているという直近の記憶がリセットされていた。3日目くらいまでは、目が覚めると「ここはどこ?」状態だったので、ちょっと心配していたのだ。昨年の帰宅は、1年ではなく2年ぶりだったことも影響していたのだろうか。

 それにしても、である。生活環境が変わったことに、1年前より早く順応できる95歳には驚いた。トイレの場所は一度説明しただけで思い出してくれたし、寝起きにキョロキョロする素振りもなかった。

 ただし、私もそれなりに工夫はした。帰宅中のスケジュールを紙に書いて、父のベッドサイドに貼っておいたのだ。書いてあることはほとんど、いつ、誰と、何を食べるか。それが父にとって、一番の安心材料になると思ったからである。

 それが功を奏したのか、父はずっと上機嫌だった。家族で囲む食卓。何を食べても美味しい美味しいと喜んでくれ、「生きとってよかった」というビッグワードを連発した。軽いノリで言っているように聞こえたが、その言葉はみんなを笑顔にしてくれた。私も内心ぐっとくるほどうれしかった。

 そして、「わしも親として何かせんといけんの。何かしたい」とも言ってくれた。私が食事の支度をしているときだったので、手伝いたいということか、もっと深いことなのか。どちらの意味にも取れたけれど、「じゃあ乾杯の挨拶をお願いします」「お、わかった」と、父らしいお役目でその場はおさまった。

 父が機嫌よく生きていてくれる。それだけでありがたい。「生きとってよかった」という言葉を聞けたことで、もう十分なのである。

 心配していた体調不良もなく、おかげさまでみんな元気に年末年始を過ごすことができた。年男の父が、福の神になってくれたのだろう。令和5年の卯年、年男と年越しをしたご利益が、早くもあったようだ。

【次回更新 その67】
2023年3月3週目(3月13日~17日)予定

投稿者プロフィール

角田雅子(かくだまさこ)
角田雅子(かくだまさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」

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