父は卯年生まれの96歳。年男だった今年も、あと数日で終わろうとしている。
2023年の師走に、この原稿を書きながら父の1年を振り返ってみた。お正月に乾杯をしたときは「生きとってよかった」と笑っていた。春には親戚が会いに来てくれて、昔話に花を咲かせながら笑っていた。初夏に迎えた96歳の誕生日には「百歳は終点じゃなくて通過点じゃ」と豪語して笑っていた。なんだか笑ってばかりの日々だったような・・・。
いやいや。コロナに感染して熱が出たこともあった。転んで肩の腱が切れたこともあった。それでも、私と顔を合わせたときの父は、いつも「大丈夫じゃ」と笑っていたのだ。
「笑門来福」という言葉があるように、幸福は陽気な門からやって来るらしい。そのうえ、年男は福徳を司る年神様のご加護をたくさん受けられるそうだ。父自身の明るさと年男のご利益。ダブルのパワーで引き寄せた「大丈夫じゃ」だったのかもしれない。
何があってもくよくよせず、かと言って頑張り過ぎることもなく、「なるようになる」と前を向く。父の生き方が凝縮されたような1年だったと思う。
師走の半ばには、父がお世話になっている高齢者施設のカンファレンスも行われた。介護と看護を担当してくださるスタッフの方々との面談である。今から4年前、入居して半年後に行われた初めてのカンファレンスで、父は笑いながらこう言った。「おかげさまでますます元気になって、なかなか死なんような気がしますわ。まぁ、いずれは病院に行くことになるんでしょうが、しばらくはお世話になりたいと思うとります」。
その1年後、父はベッドから立ち上がろうとして転んでしまい、大腿骨を骨折して入院した。「いずれは病院に」という言葉が現実になってしまったが、幸いなことに伝い歩きができるまでに快復して退院した。このとき父は93歳。年齢のことを考えると、寝たきりになる可能性もゼロではなかったけれど、リハビリを頑張る気力と体力があったのだ。それ以来、歩行車を相棒にして、足をかばいながら歩いている。
今回のカンファレンスでは、下肢の筋力が落ちてフラつくことが多くなったため、「歩行時には見守りを行い転倒予防に努めます」という援助方針が伝えられた。囲碁や合唱などのレクリエーションは大いに楽しんでいるようだが、スクワットなどの機能訓練は「疲れた」と言って参加しない日もあるという。
そのせいか、この1年で歩くスピードがかなり遅くなり、自力で歩ける距離が短くなっていることは、私も感じていた。転倒しないためには、現状の筋力をなんとか維持することが、これからの目標になりそうだ。
カンファレンスの最後には、スタッフの方々にこんな言葉をかけていただいた。「いつも明るくて、みなさんのムードメーカーになってくださっていますよ」。足元はおぼつかなくても、ユーモアを忘れない頭と口は健在だ。陽気に生きていれば、福の神とも親しくなれそうだと思わせてくれる、父には来年もずっと笑っていてほしい。
【次回更新 その78】
2024年2月3週目(2月13日~16日)予定
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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