父から手紙が届いた。
郵便受けをのぞいて、見慣れた父の字が見えたとき、うれしさと同時に頭をよぎったのは「何かあったの?」だった。
父がお世話になっているホームは、感染防止対策のための面会禁止がまだ解除されていない。その間、父は2回のワクチン接種を無事に終えていた。かかりつけのお医者さんがホームに来てくださり、入居者のみなさんと一緒に打ってもらったそうだ。
接種を希望するかどうかを確認する書類が、ホームから家族の私宛てに郵送されてきたときも面会禁止中だった。耳の遠い父と、電話で重要なことを話し合うのは難しい。なので、私の声が聞き取りにくくても、受けたいか受けたくないかだけを、電話で答えてほしいという内容の手紙を届けた。
けれど、待てど暮らせど父からの電話はなく、書類の提出期限が近づいてきた。副反応の情報が気になって、迷っているのだろうか。それとも、私の書いた手紙がわかりにくかったのだろうか。
結局、ホームのスタッフの方に父の意向を確認してもらい、ワクチン接種を受けることになった。そのとき、私の手紙をポケットから出したそうなので、迷っていたのかもしれないが、父の本意はわからないままだ。
あ、話がそれてしまったが、父から届いた手紙に書いてあったのは、ワクチン接種のことではない。私も一瞬、そのことかと思ったけれど、拍子ぬけするくらい他人行儀な文面の近況報告だった。
「前略 元気でやっておられますか」
という挨拶にはじまり、私がことづけたお菓子について、こそばゆくなるほど丁寧なお礼の言葉が綴ってあった。いやいや、お父さん。娘が手紙と一緒にちょこっと届けた、いつものお菓子ですから。
話し言葉はとても柔らかいのに、書き言葉はなぜか身内に対しても硬いのだ。
そして、次の一文を読んで、ご無沙汰している方に出したつもりの手紙が、間違って私に届いたのかと思った。
「今は地域の公務や個人的な仕事もなく、ただ食べることと寝ることに専念しております」
父が地域の世話役をしていたのは、かなり前のことだ。定年退職して故郷に帰り、祖母が営む雑貨店の手助けをしていたが、その店も畳んでからずいぶん経つ。もちろん私は百も承知だ。それでも父は、自分の仕事のことを書いていた。
考えてみると、94歳の父にとって、10年前の出来事はつい昨日のことなのかもしれない。定年退職後、地域のみなさんと地域のために働いていた日々の記憶は、くっきりと刻まれているのだろう。
だけど、お父さん。食べることと寝ることだけじゃなくて、囲碁が上達したり、コーラスにも参加したり、今もいろいろ忙しそうじゃないですか。骨折した足のチカラをつけたいと言って、毎日欠かさず体操をしているという話もスタッフの方から聞きましたよ。
親バカならぬ娘バカかもしれないが、仕事と呼ばれるものから離れても、父は立派に人生の現役だ。そんな父からの手紙は、こう締めくくられていた。
「今は外出も自由になりませんが、早く良くなって、お会い出来るようになりたいものです。くれぐれもお体を大切にお過ごしください」
そうですね、お父さん。私にもワクチン接種の順番が回ってきて、「お疲れさんでした」の乾杯ができる日を心待ちにしています。
ちょっと硬い父からの手紙は、私が毎朝手を合わせる母の写真の横に飾ってある。
【次回更新 その49】
2021年9月3週目(9月13日~17日)予定
投稿者プロフィール
- 広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」
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