その39 食べんとはじまらん

 父の一日は、食べることを中心にまわっている。

 どんなことがあっても朝昼晩、きっちり食べなければチカラが出ない。たとえば、定期検診を受けるために絶食すると、たった一食抜いただけとは思えないほど弱っていく。それはもう芝居がかって見えるくらいフラフラだ。

 「腹が減ったのう。食べとらんからのう。腹が減ったわい」と、検査を前にした父の口から出る言葉は、食べることばかり。付き添う私の役目は、検査を終えたらすぐに食事ができる段取りをすることだ。

 絶食分を取り戻すように食べる父。みるみる元気になって、エネルギーチャージ完了!という顔をしている。その姿を見ていると、検査でどんな結果が出たとしても、食べれば治るんじゃないかとさえ思えてくる。

 たった一食。されど一食。沖縄では、食べ物のことを命の薬「ヌチグスイ」と言うそうだが、父の93年間はまさにヌチグスイの賜物だ。すべて自前の丈夫な歯も、ヌチグスイ効果を倍増させてきたのだろう。

 父がお世話になっている老人ホームは、料理がおいしいと評判だ。入居前に私も食べさせてもらったが、さすがプロの手による高齢者食。栄養面の配慮もさることながら、旨みを感じる味つけのおいしくてヘルシーな料理だった。午前10時と午後3時に「おやつ」も出るので、食いしん坊な父にとっては至れり尽せりの食生活だ。

 ただ、入居した直後は、父の食欲に対してご飯の量が足りなかったようだ。かなりの早食いなので、満腹中枢が刺激される前に食べ終わってしまうのも原因だと思う。よく噛んでゆっくり食べることを宿題にしつつ、健康管理に支障のない範囲で量を増やしてもらった。

 そんな父は、ホームの料理クラブにも参加している。ちらし寿司をつくった日は、うちわで酢飯をあおぐ役目を仰せつかったらしい。後片付けも率先してやっているそうで、父が楽しそうにテーブルを拭いている写真も見せてもらった。

 そういえば、私が台所に立っていると、父はいつも「なんか手伝おうか」と声をかけてきた。「すぐできるから座っといて」と返事をするのが常だったが、私にもう少し余裕があれば、いろいろ手伝ってもらっていたかもしれない。ついつい自分でやったほうが早いと思ってしまう。そのせいで、父の活躍の場を奪っていたことに、胸がチクッとした写真でもあった。




 父は私と顔を合わせるたびに「ちゃんと食べとるか?」「今日は何を食べたか?」と、天気の話をするように食べる話をする。

 けれど、コロナ対策の面会制限が解除されて、久しぶりに会ったときは「食べとるか?」とは訊かなかった。そのかわり「元気のかたまりじゃのう」と声を出して笑い、私の肩をぽんぽんとたたいた。父にひと目で見破られるくらいのコロナ太りだったのだ。

 何ごとも食べんとはじまらん。そんな教育を受けて育った私だが、日々の食事をヌチグスイにするには、いい塩梅を学習しなければならないようだ。

その38 人生の衣替え⇒

【次回更新 その40】
2020年12月3週目(12月14日~18日)予定

   

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角田雅子(かくだ まさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作会社を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」。
 

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