その4 聞こえぬが花

 父には長寿の秘訣があるらしい。

 と言っても特別なことではなく、おなかがすいたら食べ、眠たくなったら寝る。体内で時を刻む腹時計と睡眠時計に、とにかく忠実なのだ。たまに空腹と寝不足をガマンしていることもあるが、そんな時はパワーがみるみる落ちていくのが分かる。快獣ブースカをご存じの世代の方は、「シオシオのパ~」とブースカが弱っていく姿を思い出してもらいたい。まさに、あんな感じなのだ。

 もちろん、サラリーマン時代は会社の時計に合わせていたようだが、退職してからは自分の時計が最優先。本能に逆らわない生活をずっと続けている。

 それに加えて、カラダにいいと世間で言われていることを、父は無意識に実践している。冷たい水よりも白湯が好き。歯磨きをしないと気持ちが悪い。寒いのが苦手で防寒のためにマスクをつける。父の行動は「カラダにいいか悪いか」ではなく、「好きか嫌いか」「快適か不快か」が基準なのだ。これで90歳まで生きてきたのだから、父の判断は自分に合っているのだろう。

 そして、もう一つ。長寿の秘訣をあげるならば、耳が遠くなったことかもしれない。父自身が「耳が遠いと長生きするらしい」と胸を張っている。医学的な根拠があるかどうかは知らないが、「都合の悪いことは聞こえんほうがラクじゃ」と笑う父を見ていると、そうかもしれないと納得してしまう。

 が、そうは言っても大事なことを聞き逃す可能性があるし、こみいった話はしにくい。補聴器はつけてもらいたいのだが、「快適か不快か」を基準にする父にとって、補聴器は不快なものらしい。必要な時だけ耳に当てて使う集音器から、けっこう高価なオーダーメイドの補聴器まで、いろいろ試してみたけれど「こりゃあ、ええわ」と言うのは最初だけ。調整して使い慣れれば快適だと思うのだが、その前に、どんな補聴器もお役ごめんになってしまうのだ。耳に手をそえるしぐさをして、「こうしたほうが人の声だけよう聞こえる。雑音がなくてええ」というのが父の言い分だ。

 実際のところは、相手の話が聞き取れないまま適当に相づちを打って、認知症ではないかと心配されることもある。それでも、雑音のない生活のほうが快適なのだろう。

 実は、父の耳が遠いことで、私が助かっていることもある。フリーランスになってから職場と住まいを一緒にしたので、夜遅くまで仕事をすることも多い。同居人にとっては、ごそごそする音は耳障りだろう。小学生よりも早寝の父が床につくと、普通なら物音をたてないように…と気づかうところだが、わが家の場合は息をひそめる必要がないのだ。そう、父には聞こえないから。

 そんな現状に甘えて仕事に集中していると…ガチャ!バタン!父がトイレに行く音にビクッ!とすることがある。ときには、父の部屋からもれてくる大音量のテレビの音に気がそがれることもある。生活音をたてるのはお互いさまだが、よく聞こえる私のほうにストレスが多めにかかるのはしょうがない。同じ土俵で暮らすマイペース父とマイペース娘の取り組みは、雑音が耳に入らない父のほうに軍配が上がるのだ。

 父の耳が遠いことのメリットとデメリットが、ごちゃまぜになっている日々ではあるが、こうしてパソコンに向かっている今夜も、父はぐっすり眠っている。気分転換をしようとラジオをつけたが、父が動じる気配もない。やっぱり「聞こえぬが花」かもしれないと、しみじみ思う夜なのである。

   

profile


角田雅子(かくだ まさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。広告制作会社を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」。
 

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