父ときどき、爺

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2019.06.06 その22 三度目の補聴器

父が、あれほど嫌がっていた補聴器を「買おうか」と言い出した。

左の耳は全く聴こえず、右の耳もかなり遠い父は、これまでにも何度か補聴器にトライしてきた。けれど、雑音が気になって頭が痛くなることを理由に、いつの間にか使わなくなる。右耳に手をそえるしぐさをして、「こうしたほうが人の声だけよう聴こえる」というのが父の言い分だ。笑いながら「都合の悪いことは聴こえんほうがラクじゃし」と言われては、引き下がるしかない。

調整して使い慣れれば便利だと思うのだが、無理強いはできないので、今までは父の言う通りにしてきた。その結果、病院や公的な手続きなど大切な話がある時は、いつも私が通訳がわりになっている。父は聴き返すことをあまりしないので、相手の話が聴き取れないまま適当に相づちを打ってしまうからだ。

それでも補聴器を嫌がっていた父が、自分からもう一度、興味を示したことに驚いた。きっかけは多分、父が希望していた老人ホームへの入居が決まったことだ。

そこに通訳の私はいない。もちろん、ホームのスタッフの方たちは、耳の遠い入居者に慣れておられるので心配はない。むしろ、身内の私より懇切丁寧に接してくださると思う。けれど、新しい環境でみなさんとコミュニケーションを取るためには、補聴器があったほうがいいと、父は考えたのだろう。

 

 

思い立ったが吉日。その気になった父の言葉に乗っかって、「じゃあ、どんな補聴器があるか見に行ってみようか」と、早速出かけることにした。実は、日頃から補聴器に関する情報はチェックしていたので、評判のいい補聴器専門店があることを知っていたのだ。

と言っても、私と暮らすようになってから、他店で買った二つの補聴器がすでにお役ごめんになっている。三度目の補聴器が三度目の正直になるといいんだけど・・・期待と不安、半信半疑で店のドアを開けた。

カウンセリングがはじまると、父は前のめりで自分の耳のことや補聴器遍歴を語り出した。「もう92歳になりますから、耳も老化でしょうがないですわぁ。そのほかは健康なんで、もうちょっと生きるんじゃないかと思うとります。ちーとでも耳が聴こえやすくなったら、ええんですけどねぇ。ありますか、ええ補聴器が・・・」話が止まらない。すでに買う気満々だ。

そうなると、私のほうはちょっと冷静になる。これまで父が使ってきた補聴器のNG事例を思い浮かべながら、希望をすべて伝えた。雑音が少ないこと。着けはずしが簡単なこと。着けた時の違和感が少ないこと。なくしにくい大きさで、しかも軽いこと。そして、父があまり器用でないことも小声で伝えた。

父と娘が寄ってたかって話すことを、笑顔でうなずきながら聴いてくれた担当者のおすすめは、耳かけ型の補聴器だった。試しに着けてみた父は「軽いですなぁ。よう聴こえます。雑音は気になりません。いくらですか?」と、いつもながら気がはやい。

けれど、前回、けっこう高価なオーダーメイドの補聴器を買った時も、最初は「こりゃあええ」と言っていた。今回は、より慎重に着け心地を確認したところ、「今までのとは全然違う」と、父はいつになくキッパリ言い切った。

数日後、オーダーした補聴器を受け取りに行った父は、「これで30歳は若返りましたわぁ。それでも60歳の還暦は過ぎとりますが。あははは・・・」とハイテンションだった。

父は自分の判断で、新しい生活の準備を補聴器からスタートした。90代になっても苦手意識を克服して、いろんなチャレンジができることを、身をもって教えてくれた気がする。どうか、今度こそ、三度目の正直になりますように。

 

 

 

 

【次回更新 その23】
2019年7月2週目(7月8~12日)予定

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角田雅子さんイメージ
角田雅子(かくだ まさこ)
広島市在住。コピーライター、ラジオ番組の放送作家。
広告制作会社を経てフリーランスに。備えあればと思い立ち、
介護食士やホームヘルパーなどの資格を取得。
座右の銘は「自分のきげんは自分でとろう」。

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